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2022/6/11 6:44

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仏教というものに関して、できれば専門的な見地から私の考え・疑問にコメントいただけないでしょうか。

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自分が悟るためには、煩悩に汚れた自分の心を浄化する必要があります。それが修行です。清浄行と言われます。 慈悲も喜捨も、汚れである利己的な心を浄化するための修行の一環です。

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仏教で悟りは必要ないんだよね お釈迦様の悟りは自身が衆生を救う役目が本懐と悟ったと言うだけだ、その救われる側の衆生はお釈迦様の役目に委ねて授かれば良いだけの話 これが仏の慈悲だよ

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こんにちは。「tyran」です。 基本的に「人間」とは何なのか? 究極は「悟りを求める者」であり、それ故に「悟りの真理」を獲得できないまま亡くなられれば、「やり直し」として、また「この世:現世界」に「転生」されて生れ落ちて来られるわけです! 勿論「悟り」を開ければ、「転生の繰り返しからの解脱:解放」であり、死後「来世」は無くなり、「魂:霊魂」は「仏界」に帰られて生れ落ちなくなるわけです。 「魂のホーム」は「仏界」であり「仏界」は「月」にあります。 「仏陀:目覚めたる者」は、ご入滅後「月」にお帰りになられて、次なる次元「神界」を目指されて勉強されます。 「人」→「仏」→「神」 上記のように、人の道の延長線には「仏の世界・神の世界」があるわけで、「人」→「仏」の部分を「仏教」が担当しているわけです!「悟り」を求める全ての人々に、「仏陀」になるための「知識・教養」を平等に提供することが「仏教の役目」です。 日本の仏教界は、過去において「悟り」を捨てており「浄土思想」「葬儀仏教」に終始され、「悟りの真理」を求める人々がいなくなってしまいました。だから「人間がなぜ生まれて来るのか:悟りを開くため」を説明できなくなってしまったわけです! これは、過去の「僧侶」達の劫罪です。 「仏教」は「仏陀になるための教え」であり「悟り」を求める宗教です。 「悟りを求める」その心理は、「キリスト教」「イスラム教」にも無い思想です。しかし「人の魂」は、「悟りの真理」を求めて「転生」を繰り返してゆきます。「悟り」を開くまで「輪廻転生」は終わりません! 「仏界」の下の次元に「菩薩界」がありますが、この「菩薩界」は「利他の世界」であり「救済行」の世界でもあります。 「菩薩界」を霊視してみれば、ほとんど「人気が無く」ガランとしていて「菩薩様」がおられないわけです。世界中の人々を救済されて、忙しく、出はからっておられて「菩薩界」がガラガラになってるわけです! その方々「菩薩様達」は、生きてた時も「救済行」に暮れて、亡くなられた後も「救済行」を続けておられるわけです。確かに「自己犠牲」と言えば、「自己犠牲」もあると思います。何かを手に入れるためには、何かを犠牲にしなければならない。 「両天秤」は、実際に難しく「こちらが建てば、あちらが建たず」で、両方手に入れることが難しい。自分の幸福・他人の幸福、どちらも大切ですが、「利他愛」で、慈悲の心から他人の幸福を優先させれば、当然、自分の幸福は「二の次」になります。 それでも「菩薩行:救済行」を優先させる理由は、「魂」の「悟りへの渇望」に他なりません!人の魂は、本人に「仏陀になってもらいたい」の一心で、生れ落ちて来る訳です。 より「魂の導き」に従って生きてる方々は「自己犠牲」で生きていたりします。 「悟り」を開けなければ、また「この世」に転生されるわけで、「悟りのヒント」が「不幸・不運」の隣にあったりするので、人生はどちらかと言えば「不幸・不運」に片寄りがちです。追い詰められて「自死」を選択される方々もおられますが、「魂:真我」としては「悟り」を開くことが目的であり、自殺は目的ではありません! 「人生」がなぜ厳しいのか? それは「仏様・神様」になるべく道が、人間に用意されているから。 「思いやり深く生きること」「慈悲の心で生きること」は、「悟り」に近付ける「近道」です。「罪」を犯せば、それだけの「苦痛」を受けなければ「罪」が消えないので、「カルマの解消」として「転生」され、他人に与えた「苦痛」を身に受けて「罪」は消えます。 人間、生れ落ちれば三つの要素が含まれております。 ①「カルマの解消」 ②「使命を果たす」 ③「悟りを開く」 上記のように、人間生まれれば①②③の三つ要素が含まれており、誰でも例外はありません! 人間は「天」から平等に愛されてる存在ですが、同時に「課題」が与えられており「人間の尊厳」を保ちながら、その人生を全うされるしか無いです。 「自殺したくなるほど追い込まれる人生」、それは「天の愛」であり、”気付き悟って乗り越えて行く”ところに意味があるわけで、「雲の上」に「彼岸世界:霊界・天上界」がありますが、その世界は「完璧すぎて」悟れないのです! だから人間は、「この世」と言う「完全・不完全」「秩序・無秩序」が入り混じった「光と闇」の世界に生れ落ちて「悟り」を開こうとしているわけです! 人生、苦しい状況の隣に「悟りのヒント」が隠されています。 「慈悲」は思いやり。「喜捨」は施し。いずれも、仏陀になられるための修行です。「功徳」を積まれれば、それだけ「仏界」に近付けるわけです。 勿論「無理」はいけません! 「仏教」には、強要・強制もありません。自分に出来ることを行われれば良いのです。 「天」は、末永く人間の行く末を見守られておられます。 以上です。 ありがとうございました。

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仏教の基盤である阿含には慈悲瞑想がありますが、慈悲瞑想は自分を護るためにすることになっています。 そのため、護衛禅とも呼ばれています。 喜捨は仏陀の前世譚が現れてきたころに現れた思想で、菩薩思想の影響があります。 仏教史によれば、部派仏教に対して大乗仏教勢力がプロパガンダとして使ったのが、菩薩道であり、衆生救済路線です。 これはあくまでプロパガンダであって、仏教の元々である阿羅漢果による解脱にはあまり関係がありません。

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