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2022/6/22 11:58

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自分に酷いことをした相手を恨んだり 呪ったりしないで、その相手の幸せを 祈るのが良い。 とよく聞きますが呪いたいほどの事を された相手にそれできますか?

ベストアンサー

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

それが真理ですよね。 勇気をもらいました。 ありがとうございました。

お礼日時:6/25 8:46

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仏教は生まれ変わるというのが基本の考え方です。生まれ変わるのですから天国や地獄が現実とかけ離れた所に在ったのでは辻褄(つじつま)が合いません。天国も地獄も現実の世界で見ることができます。例えば金持ちの幸せな家庭に生まれる子供と、貧乏で親から虐待されるような家に生まれる子供、この違いが天国と地獄です。他には平和な国に生まれる子供と戦争が絶えないような国に生まれる子供、この違いも天国と地獄です。天国や地獄は生まれる場所のことなのです。 仏教の地獄絵図は比喩です。地獄絵図には火で焼かれたり身体を切り刻まれたり水責めにされたりしている姿が描かれていますが、爆弾で吹き飛ばされたりタバコの火を押し付けられたりすることとなんら変わりはないと思いませんか。罪人を攻めている鬼は怒り怨み嫉妬に駆られた人間の姿を比喩的に描いたものです。子供を虐待する親や戦争で多くの人を焼き殺し傷ける人間が鬼なのです。 誰かに恨みを抱いたまま死ねば地獄に生まれ鬼となるような生活環境で育ち、恨んでいた人の人生の前に立ちはだかり害をなします。これを悪縁と言います。例えば恨まれていた人が恨んでいた人の子供として生まれたら、親が鬼となり子どもは毎日が地獄です。鬼とは他人の不幸を願うようになった人間のことです。恨みや怒りや嫉妬は人間の心を鬼に変えます。鬼の住む場所は地獄なので自分の生活が地獄へと変化していきます。それは恨みや怒りや嫉妬は自分が幸せになるための合理的な正しい判断をできなくするからです。したがって「許す」というのは相手のためではなく自分のためなのです。許すことができない時は仏性を開く菩薩行をすれば恨みは薄らいでいきます。 普通の人間が鬼になるというのは、人間の内面には鬼と仏性の両面を併せ持っているというのが仏教の教えです。仏性とは慈悲のことです。慈悲とは地獄に在る人に救いの手を差し伸べたい、苦しんでいる人を救いたいと思う気持ちであり、それを実践するのが成仏の道である菩薩行です。ボランティアも困っている人を助けるのも虐待されている子供を救い出すのも菩薩行です。菩薩行を重ねることで仏性がその人の人格となる。それを「覚りを開いた」とか成仏した(仏に成った)と言います。 人間は生きている内に様々な罪を犯しながら生きています。その中で最も重い罪は恨まれることですが、恨み続けることも相手の不幸を願うようになるので罪となります。天国に生まれるための善行は感謝されることですが、感謝することも善行になります。「ありがとう」と言われることは最も大きな善行ですが、「ありがとうと」と言うことも相手を幸せな気持にすることができるので善行になります。悪行と善行のどちらが多いかまたはどちらが重いかで天国か地獄、又はその中間になるかが決まるようです。感謝されれば良縁となり生まれ変わっても助け合える存在となりますが、恨まれれば恨んでいる人が悪縁となり恨んでいる人の人生の障害となるようです。 前世で強い絆で結ばれた相手とは生まれ変わっても再び会えるそうです。これを縁と言いますが縁には良縁と悪縁があります。人生に成功し幸せを掴んだ人は、人生の節々で支援してくれた人がいたとか助けてくれる人が現れたという話をします。反対に人生に失敗したり地獄の苦しみを味わっている人は、人に裏切られたり騙されたりしたとか、足を引っ張るような人がいたという話を聞きます。これが良縁と悪縁の違いです。縁も因果応報なのです。

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そんなこと、初めてききました。 あなたは「よく聞きますが」といいますが、私は初めて聞きましたよ。 自分に酷いことをして相手を恨んだり呪ったりせず相手の幸せを祈れ? それができるのは、ずいぶん心の広い人間。 それこそ、漫画に出てくるキャラみたいな仏のような心を持つ人間だけかと。 まぁ、自分に酷いとをした理由を知った時、相手の置かれた境遇があまりにも哀れで可愛そうならば…そう思うことがあるかもしれませんが…。 実際、そうならないと分からない。

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忘れられないようなひどいことをされて ずっと引きずっています。 そういうふうに書いている本もありますが、 まったく癒されません。 本が売れているだけです。 被害者は危険だったことは脳に 焼き付いていますよ。

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同感です。 《相手の幸せを願うことが自分の幸せ》と思えれば良いのでしょうが、嫌な事をされれば、「相手の幸せを願うこと」なんて無理です。質問者さんが言われるように《菩薩》でない人間には不可能なのだろうと思います。 法華経と言うお経に、虐められても虐められても、人々に合掌した菩薩の話が載ってます。これは《菩薩》だからこそ可能なのだろうでしょう。 佛でもなく菩薩でもない人間には真似できないだろうと思います。 そして、これは理屈じゃないのです。 苦いものを食べて、「甘く感じろ」と言ってるようなものです。

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「その相手の幸せを祈るのがいい」 という考え方は、どこかの宗教の教えとかですか? 相手がヒドイことをしたのは事実であり、変わらないし、残ります。 それなのに『相手の幸せを祈りなさい』とは天も言わないと思いますよ。 反撃出来ればそれがいいけれど、それによってエネルギーを消費し、心の傷(トラウマやPTSDなど)がえぐられる可能性があるなら、縁を断ち切ったほうがいいと。 過去と今を切り離し、イヤな記憶と感情を脳内から追い出したほうが、自分のためになる。 あとは後々天にて裁かれるので、もう任せるということ。

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質問者2022/6/22 15:32

スピリチュアル系の方々が皆そろって そのようにおっしゃいます。 相手の幸せを願うことが自分の幸せに 繋がると。 憎い相手の不幸を願うのは自分も不幸と いうのは理解できますが憎い相手の幸せが 自分の幸せとは到底思えないんです。