江戸時代について。江戸時代の死刑について教えて下さい。どんな罪を犯すと、死刑になったのでしょうか。

本、雑誌 | 日本史166閲覧

1人が共感しています

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

ThanksImg質問者からのお礼コメント

とても詳しいご回答、ありがとうございましたm(_ _)m。 江戸時代は死刑が当たり前だったのですね。平均寿命も今より随分と短かいので、人生は太く短く的な発想もあったのだと思います。

お礼日時:7/2 17:04

その他の回答(6件)

3

江戸時代の幕法による刑罰は寛保二年(1742)に『公事方御定書』下巻いわゆる御定書百箇条が制定され、戦国時代から行われていた苛酷な刑罰が多少とも緩和されました。史料による制定後の一般庶民に適用される死刑としては①引廻磔・②磔・③引廻獄門・④獄門・⑤火罪・⑥引廻死罪・⑦死罪・⑧下手人・⑨死骸塩詰のうえ磔・⑩晒のあと死骸塩詰のうえ磔などがありました。文久二年(1862)から慶応元年(1865)十二月まで執行された死刑の種類と受刑者数は①が5人、②が2人、③が16人、④が107人、⑤が10人、⑥が50人、⑦が235人、⑧が2人、⑨が8人、⑩が1人となっています。死刑は犯罪の性格と『公事方御定書』に照らし合わせ審議され決定されていたそうです。10両盗めば首が飛ぶというのは事実でしたが、犯罪者の犯罪歴や事情などにより情状酌量され9両2分盗んだということにされ死刑を免れる場合もありました。

3人がナイス!しています

1

普通の死刑は打ち首ですが、放火の場合は(死者の有無を問わず)市中引き回しのあと火あぶりです。また武士の場合はよほどの事情がない限り切腹ですが、実際は本人が刀を腹に突き立てる前に介錯人が首を落とす、さらには刀の代わりに扇子が置いてあるなんてことが多かったようです。

1人がナイス!しています

1

殺人はもちろん、喧嘩などで相手を傷つけても場合によっては死刑でした。 特に相手が「目上」の人の場合は文句なしに死刑でしたね。 また泥棒でも「金10両」以上を盗んだらと言われています。 現在の貨幣価値にして約『100万円』くらいです。 また死刑でも色々と段階が有りました。 基本的には奇形は「打ち首」です。 簡単な場合は、牢屋の庭で行われました。 少し重くなると、その「首」を「獄門台」の上に「さらされました」 一種の「見せしめ」ですね。 さらに重くなると、馬に乗せで町中を引き回して、見せびらかし、何処かの河原で打ち首にして、その首を獄門台にさらしました。 一番重いのは、同じように街中を引き回して、死刑場で「磔」(はりつけ)にしました。下から「槍」で突き殺したのです。その後「首」はまた晒されましたね。

1人がナイス!しています