【再質問】 豊臣秀吉が、織田信長の葬儀に「大徳寺」を選んだ理由は何でしょうか? □ 大徳寺は臨済宗ですが、五山、十刹の寺院に比べると寺格が劣るのでは? □

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日本史 | 歴史68閲覧

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三好長慶の「葬儀」が行われた事は関係ないのですか? <こんな記述がありました> 永禄7年(1564)7月4日、三好長慶は飯盛山城において亡くなった。享年43。長慶の死は混乱を避けるため三回忌の直前まで伏せられた。永禄9年(1566)6月、三好家の後を継いだ三好義継によって八尾の真観寺で荼毘に臥され、京の大徳寺の僧・笑嶺宗訴(しょうれいそうきん)を導師に迎え葬儀が行われた。 翌7月、堺の南宗寺で三回忌が執り行われ「諸人之を仰ぐこと北斗泰山」と讃えられた。そして義継は、大徳寺に聚光院(長慶の法名)を建立して長慶の菩提を弔った。聚光院には、長慶と同じ年に生まれ共に南宗寺で禅と茶の湯を学び大徳寺の笑嶺宗訴に帰依した縁で、利休の墓所もある。 ■↑調べると、信長の葬儀の導師も笑嶺宗訴とありました。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

■回答ありがとうございました。 <調べましたが、確認できませんでした> 大徳寺は足利に縁遠いがそれがむしろ織田家、羽柴家に近かったことが 想像される寺。 <三好の方が、大徳寺に近かったのでは?> 大徳寺の当主・笑嶺宗訴は、以前に堺の南宗寺の当主であり、三好長慶や千利休が帰依していた。

お礼日時:7/2 13:32