明智光秀が本能寺の変を起こした時は、本能寺を囲んでる明智軍のほとんどの者達はなんで自分達がそんな事をしてるのか分からずに行動してて、気づいたときには信長が討たれてたって感じですか?

日本史186閲覧

ベストアンサー

0

その他の回答(4件)

0

指揮していた明智秀満、斎藤利三などは、誰を討ちに行くのかも当然ながら知っていました。 兵士たちには、箝口令を布き、途中で誰かに出会うと、それを切り殺して行軍しました。 確かに、『本城惣右衛門覚書』『日本史』には、徳川家康を討ちに行くのだと思っていたという記述があります。 なお、『本城惣右衛門覚書』には、「うへさましろききる物めし候ハん由、申候へ共、 のぶながさまとハ不存候。」という記述もあり、「上様は白い着物を着ていて、それが信長様だとは知らなかった」と言っています。

0

当世の街道は道幅が狭いので 大軍が街道を行進したら大蛇の 如く長くなってしまいました。 そこで大軍は行進中に後が 詰まって将棋倒し、とか起きたら 合戦地へ着く前に損傷してしまう ので大軍行進は大軍を多数の隊に 分けて時間差つけて進発する ことで進路が交通渋滞しない ように行軍しました。 本能寺の変でも丹波から京へ 向った明智軍は何隊かに分けて 出発時間、間隔を空けて順番に 進撃して一番、最初に出発した隊 が本能寺へ討ち行って他の諸隊は 京都を包囲する形で順次、京に 着いたようです。明智光秀が率いた 隊は本能寺へ討ち行った先陣勢 では無く京都の周囲に展開した 諸隊の何れかであったようです。

本能寺の変における明智軍と 吉良邸に討ち行った赤穂浪士47士 とが似ていても非なるところは 赤穂浪士らは吉良上野介を討てれば 上等だったが明智軍は織田信長や 織田信忠を討つだけで無く京都を 制圧する必要が、ありました。 したがって、とにかく京を平定 する作戦だと下々の兵ら、に命じて おけば十分で明智光秀が本当に 頼み、にしている重臣らと、その 手勢ら、にだけ織田信長、織田信忠 を討つよう命令していれば明智光秀 の謀叛にとって十分だったのでは。

0

出陣前や進軍途中で、スパイや裏切り者によって、自軍の状況を、先方の敵軍に、先に、事前に知らされては、困ります。 ですから、信頼できる軍幹部のみに、討伐の相手・敵は誰なのか、を明かして協力を求めます。大半の兵たちには知らせないか、ほのめかす程度か、別の相手を討つとか思わせたり、します。 本能寺の変の明智軍は、『本城惣右衛門覚書』によれば、そのようですが、他にも、状況次第では、同様のことがあったに違いありません。

0

明智軍と言っても織田家から貸し与えられた兵達です。それでも信長は雲の上の人なので顔も知らず、首を取れば褒美を貰えるので必死に攻めたのでしょう。 信長の首は見つからず、本当に討たれたのかは分かりませんでした。