戦国時代合戦で農作業の労働力の足軽を失うと領主にとって大打撃になる事ってあったのですか?失った労働力をどのように補充したのですか?
戦国時代合戦で農作業の労働力の足軽を失うと領主にとって大打撃になる事ってあったのですか?失った労働力をどのように補充したのですか?
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ベストアンサー
「足軽」については、畿内と東国では意味合いが異なるようですよ。 畿内周辺では、度重なる飢饉によって地方の村を捨て流民として京に流入した人々。 軍律が厳しいとされる織田軍でも、上京焼き討ちの際に狼藉の限りを尽くした尾張・美濃兵と宣教師が記した兵は、流民化した足軽のことを指していたのでしょう。 東国については、史学者・黒田基樹氏によれば、馬上足軽、歩足軽などで名字を有する侍衆であり、一部名字を有さない者が混在しており、一部の耕作人(農民)も混じっていたことが確認できます。 ※年貢を納めることが出来ず、不足を軍役でおぎなったのかは不明。 黒田氏の考察によれば、一部の例外を除き彼ら地侍は軍役衆であり、耕作人ではなく生産の担い手ではなかった。 既出回答にあるように、耕作に携わる人々は軍役衆ではなく小者・荒子として戦場に駆り出された人々で戦闘員でなかった。 なので身に危険が迫れば戦場から離脱します。 むしろ戦死者より、戦場からの逃亡による村からの離村者をどう村に戻すかが戦国大名にとって頭の痛い問題でした。 年貢の低減化、一部免除を実施し離村した人々が戻る政策を実施しています。 一方、軍役衆も負担が重くなると軍役を拒否し、侍身分を捨て年貢を納める道を選択する人も現れます。 戦国時代終盤になると、戦いは総力戦化し、本来は普請役を務める耕作人たちまで軍役を負担するようになります。
質問者からのお礼コメント
ありがとうございました。
お礼日時:7/5 20:52