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ID非公開

2022/8/26 20:44

44回答

しつこくてすみません。

哲学、倫理 | 宗教53閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ずっと似てるんじゃないかと考えてて、でもうまく説明できなくてモヤモヤしてました。 決定論には何かの意思が介在することはないから、未来が変わる可能性もないということ、すごくよく理解できました。

お礼日時:2022/8/28 21:44

その他の回答(3件)

ラプラスが「神という仮定」という言葉を使いました。科学理論による事象の説明は神の思召という説明にとって代わり始めました。つまり似てるどころか同等のものです。只、決定論や因果律というのは未だ運命全体を支配しません。逆に神は事象や運命すべてを支配します。神という客観的な全能者がいるのではなく、神という概念に人々は全能の機能をもたせ、それをコンセンサスとしたのです。

神の意志が物理の法則かかという違いがあるだけで、どちらも決定論に似ていると思います。ただし、後者については原子レベルまで考慮すれば不確定な要素があるので、必ずしも決定論とは言えないと思います。

似てるような似てないような…わかりません!