そこでの「正義」は、為政者・権力者にとっての正義ですよね。
権力者とつるんでいる犯罪者はお目こぼしされ、つるんでいない犯罪者だけが処刑されることになります。
それは正義と言えるでしょうか。
そのような恣意的な権力行使を防ぐため、他の国家機関から独立した裁判所で開かれる公判廷で、検察官と被告人が攻撃防御を尽くし、事件の真相が解明される必要があります。
またその際には、不利な処分を科されようとしている被告人に弁明の機会を与えないと、公正な手続とは言えません。
そして一般的に被告人は法律の素人なので、法律の専門家である弁護士が刑事弁護人として、被告人のために弁論活動をします。
あと、誤解しているようですが、裁判官は被告人の味方ではありません。
もちろん検察官の味方でもなく、公正中立な独立した存在として、法廷を主宰します。
もし裁判官に中立性を疑われる事情があるときは、彼・彼女はその事件の審理から外れることになっています。(除斥・忌避・回避)
そして、公判の全過程を経て、検察官が「合理的疑いを超える証明」に成功したと判断した場合、有罪の判決を下すことになります。
なぜこんな面倒な裁判手続が必要とされているのでしょうか。
それは日本が近代国家だからです。
江戸時代までは、そのような刑事手続のシステムは整備されておらず、恣意的なお白州裁判がまかり通り、幕府の権威を否定することになるので、有罪の裁定に対して上訴することも許されず、科される刑罰は苛烈を極めました。(10両盗んだら死罪、など)
それゆえ日本は後進国と見なされて、幕府は不平等条約締結を余儀なくされたのです。(例:治外法権)
不平等条約解消のためには、日本は近代国家に生まれ変わったことを世界に示す必要があり、明治政府は欧米先進国に倣い、法典編纂事業を進めたわけです。