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生物の進化はどれくらいのスパンで起こるのですか? 約20万年前に誕生した現生人...

mag********さん

2009/6/1817:53:35

生物の進化はどれくらいのスパンで起こるのですか?
約20万年前に誕生した現生人類から基本的に人間は進化していません[種の壁を超えていない]ので20万年くらいでは進化しないということですか?

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may********さん

編集あり2009/6/2122:28:41

生物の進化はどれくらいのスパンで起こるのですか?->

・長い所では 約36億年前の細菌化石↓から
http://www.biological-j.net/blog/2007/06/000231.html
エディアカラ化石群(約5億6千万年~6億年)・・・の30億年
http://www.kahaku.go.jp/special/past/fossil/ipix/13ediakara/pompei....
http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/rika-b/htmls/cambrian_anim...

・短い所では ラミダス原人から ホモサピエンスまでが約600万年。

進化系統樹のどこから どこまでを見るのかで変わります。
http://www.fnorio.com/0082dendrogram_of_animal1/dendrogram_of_anima...
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/shinka/keitou/jyu/s-jyu.html
----
[種の壁を超えていない]ので20万年くらいでは進化しないということですか?->

画像は
ミトコンドリアDNAによる母系系統樹
http://bbs.jinruisi.net/blog/2007/12/000313.html
・・15万年前から「種」は同じホモサピエンスですが、分化しています。

進化の原因は確定していませんが、もしミトコンドリアならば、もう進化しません。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=102...
ただ別の意味で、50数年後(遅くとも100年以内)に進化しそうです。

生物の進化はどれくらいのスパンで起こるのですか?->

・長い所では 約36億年前の細菌化石↓から...

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tak********さん

2009/6/2517:05:25

「研究ごっこ」に関して、
blackrook368さんが紹介しているURLの中から
http://www.hmt.u-toyama.ac.jp/chubun/ohno/qanda.htm
http://www.hmt.u-toyama.ac.jp/chubun/ohno/paradox.htm
↓『「信じる」者は救われない』を見つけたので、ご紹介しておきます。
http://www.hmt.u-toyama.ac.jp/chubun/ohno/shinjiru.htm

以下引用です。この中のどれほどが回答者さん達に当てはまるでしょうか?
『初めにありきの結論』はピッタリですね^^;
【略】は、☆をご参照ください

***引用***
■自説を「信仰」する自称「研究家」 自称「研究家」の発表する「研究ごっこ」の中には、「自分の学説こそが世界を救う!」

【略】

そこまで極端でなくても、自称「研究家」は自分の「研究ごっこ」を多かれ少なかれ「信仰」している面があります。彼らにとって自分の「学説」はまさに自分の全存在をかけたよりどころですから、それを批判されることは、自分のすべてを否定されるに等しいことなのです。ですから彼らは自分の「研究ごっこ」を否定されると、それこそ自分の全存在をかけて、手段を選ばず批判者を叩きのめそうとするのです。もし批判した相手に少しでもそんなそぶりがうかがえたら、むきになって折伏しようとせずにさっさと逃げるのが得策です。

■初めに結論ありきの「研究ごっこ」 古典文学の場合、研究の出発点になるのは「××はどうして○○なのだろうか」という疑問です。まっとうな学者は研究対象の文献の中からさらにいくつもの事例を探し、そこから帰納的に結論を見つけ出します。事例を探している間にある程度結論の見当をつけていることも多いのですが(この場合の結論を作業仮説といいます)、もしその仮説に反する事例が出てきたら、当初思っていた仮説を引っ込めて、さらに良い説明ができないか考えます。あくまで「積み上げた根拠から結論を導く」のです。
ところが自称「研究家」は、疑問から一足飛びに「これは△△だからに違いない」という結論を「発見」してしまいます。甚だしきに至っては、疑問が動機ですらなく、「○○であることを証明したい」「××の説が間違っていることを証明したい」という具合に、結論そのものが研究の動機になっていたりします。そして一度「発見」した結論は、まるで神の啓示であるかのように墨守して譲りません。するとその結論にふさわしい根拠だけを探し、都合の悪い事例は見なかったことにするか、論理的に破綻した苦し紛れな言い訳をすることになってしまいます。要するに「初めに結論ありき」なのであって、その結論は彼らにとって「なりふり構わず守り抜かなければならないもの」なのです。そうなるともはや学問ではなく「信仰」になってしまいます。
わが国では信教の自由が保証されていますから、「宗教を」信仰している分には全く自由です。聖書や仏典に非科学的なことが書いてあるからといって、それを「宗教として」信仰する人々が文句を言われる筋合いはありません。しかし宗教と科学を混同して、宗教的信念から学問を攻撃するようでは困るのです。合理的根拠のないことを真実であるかのように思い込むのは、どんなに学問の装いをまとっていても、「信仰」以外の何物でもありません。

■君子は豹変す まっとうな学者は自分の学説にはもちろん一定の自信を持っていますが、それは合理的根拠があるから正しいと思うのであって、決して自分の学説を「信仰」しているわけではありません(中には「信仰」している人もいるようですが、そういう人の評判は概して良くありません)。研究を進めるうちに新しい事実がわかったら、自分の考えを改めることに躊躇しないものですし、批判を受けても、妥当な批判ならそれを素直に受け入れるもので、「自分の全人格を否定された」などと騒ぐことはありません。【略】

「信じる」者は救われない――これが学問に携わる者の心構えです。
この項のまとめ学問だけで世界が救済できるのなら、戦争も貧困も差別もとっくの昔になくなっています。
宗教じみた自称「研究家」には近づかないのが安全です。
最初に結論をぶち上げて、それに都合のよい根拠ばかり集め、都合の悪いことは見なかったことにするのが自称「研究家」のやり口です。
まっとうな学者は仮説に反する事実が見つかれば、その仮説を棄却して考え直します。自称「研究家」の仮説は決して棄却されない「初めにありきの結論」です。
君子は豹変します。まっとうな学者は研究を続けるにつれて考えを変えていきます。自称「研究家」の考えは何があっても決して揺るがない「信仰」です。

kin********さん

2009/6/2123:13:39

私達は日々進化を続けてるよ。あなたも。 その証拠に、例えば江戸期の人と私達とでは大分体型が違います。 知らないうちに、その時代の生活に合った体型に進化してますよ。

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