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2023/1/19 23:22

33回答

江戸時代までの日本男性には髭を蓄える習慣は全くなかったのですか? 明治時代になると鼻の下に髭を生やしている男性は多いですがこれは欧米の習慣を真似ているだけですよね。 それまではどうだったんでしょう?

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回答(3件)

戦国時代には髭を伸ばして整えることが一般的で、髭の薄かった豊臣秀吉はわざわざ付け髭をしています。 勇ましい髭が武士の強さの象徴でした。 しかし、江戸時代になり幕府は戦国時代の気風を取り払うべく様々な施策を行いますが、その一つとして身だしなみの統制も行ない、荒々しい髭は武士の儀礼や庶民に相応しくないとして「大髭禁止令」を発します。 そして、髭を伸ばすのは主君や近親者が亡くなった際の服喪の場合だけ(月代の髪剃りもその間は行わず、身だしなみを整えず人前にも出ない)とされ、髭を伸ばす習慣は江戸時代の間に無くなります。 しかし、明治維新によって江戸幕府が倒れると、髷を落とすのと同時に幕府の禁制を大っぴらにやぶれることを面白がって髭を伸ばす習慣が復活します。 諸外国では髭を整える習慣があり、髭をきれいに剃るのは立場ある男性としては奇異に見られることもあり、髭の習慣がまた顧みられることになります。

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僧侶と武士はひげ面が嫌われるので剃ってます。

戦国武将の肖像画は立派な髭を蓄えた物ばかりです。武士の棟梁として最初の武士政権を作った源頼朝を描いたとされていた肖像画とも、整えられた髭が描かれています。 「太平記」には武士のことを「見るも恐ろしく、むくつけ気なる髭男」という表現をし、髭を武勇の象徴としていたことが分かります。髭のない者は、「女面を見らるることの口惜しさよ」などと蔑まれていました。 戦国時代の武将にとって、髭は武威を誇示するために欠かせない身だしなみでした。権力ある戦国武将でありながら髭が薄いことをコンプレックスにしていた人物が豊臣秀吉です。織田信長が彼に付けたあだ名が「禿げネズミ」とされています。ちょろちょろとした髭がみすぼらしくネズミのようだと、からかっていたようです。 戦国時代が終わり、1596~1615年の慶長年間には、武士階級全体で髭を剃る習慣が拡がります。武威を誇示する必要性が無くなったからですが、それと比例して下郎や若衆達の間で、おしゃれとしてもみあげ、頬髭が流行り、油を使って髭を整えることがブームになったのです。江戸幕府は風紀の乱れとして好ましくないと、1670年(寛文10年)には、貴賤上下とも髭を禁止する「大髭禁止令」が発令。それでも髭を伸ばすブームは収まらなかったようで、1686年(貞享3年)に再び禁令が発せられ、髭を伸ばした男達を捕らえて刑罰に処していました。それだけ、庶民の間で髭がおしゃれとしてもてはやされ、なかなかやめられなかったことを表しています。大髭禁止令によって、髭に男らしさは求められなくなり、社会秩序を第一とした江戸幕府によって一般的な髭風俗は日本の歴史上一旦姿を消します。 幕末に来日した欧米人を、毛唐などと侮蔑的な言葉で表現していました。髭を蓄える文化があった欧米人を野蛮な存在と見ていたのです。江戸時代には髭を蓄えないことが、品格ある人間とされていたため、髭を伸ばしていた欧米人が野卑な文化の人間と見えたのでしょう。 https://www.touken-world.jp/tips/26171/ より抜粋