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何故明治になって北島国造家が千家国造家の下に置かれたのですか? 少なくとも そ...

コダマ ヒロフミさん

2009/6/2916:18:16

何故明治になって北島国造家が千家国造家の下に置かれたのですか?
少なくとも それまでは 何百年も両家全く同等の扱いを受けていたのですから
不思議です。仮に 勤王と佐幕の関係があったのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

kur********さん

2009/6/2921:43:24

千家国造と北島国造が全く同等の扱いを何百年も受けていたのではないのです。
両家が分流する前の代すなわち第五十四代清孝国造の康永十二年の御遺言書には
「惣領分此内四分一北島貞孝分ニテ遺之候分」と記されています。
つまり従来の国造財産の75%を千家国造が相続し、残りの25%を北島国造が賜ったことに
なります。その他にも千家国造が明治までより優位だった例は沢山あります。
そもそも五十四代清孝国造に子がなく、同母弟の千家孝宗が五十五代国造となり、異母弟の
北島貞孝も国造職を賜ったので、このような関係が生じたと言われております。

質問した人からのコメント

2009/6/30 17:39:26

成功 成る程、長年の疑問が氷解しました。しかし、今まで読んだ資料には この「差」について書かれていませんでした。また、地元でも余り知られていないことでした。有難うございました。

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