アンケート一覧ページでアンケートを探す

回答受付が終了しました

ID非公開

2023/6/16 0:31

11回答

第一次世界大戦の直前、オーストリアがセルビアに最後通牒を突きつけていた頃、フランスのポワンカレ大統領とヴィヴィアニ首相は共にロシアを直接訪問していました。

世界史 | 歴史29閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

新機能 AI回答テストを実施中! テスト対象カテゴリ:歴史・悩み相談 ※回答がつかない場合は、画面のリロードをお試しください

回答(1件)

ポワンカレ大統領とヴィヴィアニ首相がロシアへ向かって 出発した時点では、まだオーストリアは最後通牒をセルビア に突き付けていません。 この時点ではオーストリアとセルビアの紛争にフランスが直接 巻き込まれる可能性もありません。ロシアへの出発時点では フランスは局外中立の状態です フランスがこの問題に関わることが外交的に決定したのは、 ホワンカレがサンクト・ペテルブルクに到着後にロシアで 活動したことによるもので、フランスが無条件でロシア政府 に軍事支援することをロシアに確約してからの話です。 そしてポワンカレらがフランスに帰国する頃になってオース トリアがセルビアに最後通牒を突き付けるつもりらしいという 話をロシア側から聞かされています。 時系列でみれば下記のようになります。 6月28日 オーストリア皇太子夫妻暗殺事件 7月7日 オーストリアのセルビアに対する通告 7月13~23日 ホワンカレらフランス政府一行のロシア公式訪問 7月23日 オーストリアのセルビアに対する最後通牒 7月25日 セルビアが最後通牒の条件を拒否し、外交断絶 7月28日 オーストリア、セルビアに対して宣戦布告 ドイツ嫌いのホワンカレは、初めからオーストリア皇太子暗殺 事件を大きな紛争に拡大させようと考えてロシアを訪問していて、 ロシアを焚きつけてドイツ、オーストリアに対して強硬な態度を 取らせ、戦争を起こさせようという考えがあったようです。 従って、戦争への動きを加速させたのはポワンカレであって、 ポワンカレの動きがなければ大戦回避の可能性もあったと言え ます。実際、ニコライ2世との話し合いの中で、ポアンカレは 戦争を避けるのではなく、最終的に戦争に勝つことについて 公然と語っていて、露仏同盟の性格を防衛的なものから攻撃的 なものへと変容させています。 ポワンカレは大統領になった2013年時点で2年後の戦争を予測して いて、全力で戦争に備えることを主張しています。ドイツとの融和 的外交の動きもフランスにはあったのですが、ポワンカレによって 潰されています。 1920年代になって、ドイツとソ連の双方から第一次世界大戦は "Poincaré-la-Guerre"(ポワンカレの戦争)だったというプロパ ガンダが流されています。

NEW! この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう