アンケート一覧ページでアンケートを探す

長篠の戦いで大惨敗した後の武田勝頼が天下統一するのと、夷陵の戦いで大惨敗した蜀が天下統一するのは、どっちがより困難ですか?

日本史 | 中国史120閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

1人が共感しています

新機能 AI回答テストを実施中! テスト対象カテゴリ:歴史・悩み相談 ※回答がつかない場合は、画面のリロードをお試しください

ベストアンサー

NEW! この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:6/24 19:17

その他の回答(3件)

武田です。 長篠では勝頼はたった12000で突撃しましたが信長の馬防柵は強力で突破できませんでした。そもそも40000の大軍がひしめく鉄砲隊の前からまともな武器も持たず正面突撃したため織田軍はほぼ無傷で武田は全滅です。 最初に酒井の軍に退路を完全に断たれた上に勝頼が撤退を渋ったため 武田全軍が逃げ遅れてほとんど全ての部隊が殲滅されました。 馬防柵が完成する前に攻撃する 雨の日に攻撃する たった12000で突撃しましたが勝頼の最大動員兵力は33000です。 もっと出来ることはあったはずです。 ここまでの大敗は日本の歴史上ありません。歴史上の全ての人物の中で一番無能かもしれません。