ID非公開さん
2023/6/21 1:04
2回答
最近、どうしても耐えられずに、首吊りをしようとしました。その時は、首がもげるような痛みと、喉が潰されるような苦しさから、断念してしまいました。2日後に、首に縄の跡がついたまま大学に行きました。
最近、どうしても耐えられずに、首吊りをしようとしました。その時は、首がもげるような痛みと、喉が潰されるような苦しさから、断念してしまいました。2日後に、首に縄の跡がついたまま大学に行きました。 何故かその日はいつもより通学の足も軽く、堂々としていられました。どこからきた自信なのか、それとも満足感というか、よく分からない気分でした。でも死にたいという思いは変わらず、変化したのは、死ぬのは簡単ではないということが分かった、という単純なことでした。首を吊ったとき、死にたくないと思というより、虫が殺されそうになってもがいてるような、生き物が必死に苦しむ様子、それと同じような気がしました。ただ苦しいからもがいているというような感じです。自覚のないあのとてつもなく痛くて苦しい思いはもうしたくない。死にたいけど苦しみたくない。そう思いました。そしたら、痛いのは嫌だ、苦しみたくない、そこまでして死にたくない、と思っているのではないかと考えましたが、自分の中ではそれを肯定したくないという思いが片隅にあるのだと気づきました。 今、本当にこの世から消えてしまいたいと思っています。楽にいける方法を探しています。頸動脈を切るのは痛い、だけど手首は確実ではない。首はトラウマになっている。最近はこのようなことばかり考えています。本当に極限な状態にある人は、このようなことを考えないのだろうなと思いながら、私の考えの甘さに腹立ちながら、それでもその勇気が欲しいと考えている。さらに言うと、首を吊ってみたあと、死ぬのはこんなにも辛くて苦しいものなのか、なぜ簡単に死なせてはくれないのか、生きているのは最もな地獄ではないのか、と思うようになりました。親や友人に言うと引かれると分かっているので、誰にも言いわないようにしています。かといって、精神科を受診して、自分が何らかの障害も患っていなかったと診断されるのが怖く、どこに相談すればいいかもわかりません。ここに書いてみたのも、何を求めているのか分からなくなりました。また、頭の中で屁理屈が次々と生まれてきています。今、下の階の住人の足音がうるさかったので、ベッドから降りて、床で思い切りジャンプしました。私はこの世にいてもいなくてもいい存在なんだと改めて思いました。
生き方、人生相談・1,200閲覧
1人が共感しています