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古墳時代は、古事記・日本書紀に書かれているように朝鮮半島から多くの渡来がありました。 そんな中で日本の古代の神社は朝鮮半島由来のものが多いです。 渡来人と神社の関係はどのようなものなのでしょう?

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日本史 | 歴史148閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございます。 朝鮮半島と古代神社の関係、朝鮮半島と大和政権の関係は奥深いです。

お礼日時:10/2 9:46

その他の回答(3件)

古代には半島にも日本にも現在で言う神社というものがなかった。 弥生時代や古墳時代の遺跡からは現在の神社と特定できる遺跡や遺物が出ていなません。 銅鐸は祭器っぽいですが、現在の神社には銅鐸のようなものがありません。 どちらかというと寺の鐘の方が近いような。 つまり、神社は後付けで創られたものであるといえるでしょう。 たぶん、奈良時代に氏族などが土地の者達などを管理しやすいように神道とあわせて作られたのではないでしょうか? 記紀などにも氏族名や都などや地域名は出てきても、神社や寺がでてきません。 埼玉の高麗神社などは奈良時代ですが、703年には高麗若光が朝廷から王姓が下賜された移住したとなっています。 仏教を伝来によって蘇我氏と物部氏の争い「丁未の乱」が起こるのが587年の飛鳥時代でです。 ここで、完全に物部氏はやられます。 そして、四天王寺やいろんな寺院が建てられますが、神社が建立されたとか神社で何か行事をしたとか神社に逃げ込んだとかいった記述が飛鳥から奈良時代にほとんど見当たりません。 高麗神社も高麗若光が朝廷からの要請で移住したあと建てられています。 ひょっとすると、奈良時代、半島人は寺に組み込まれなかったので神社にて管理したのかもしれませんね。 いや、神社に朝鮮半島由来のものが多いのは、朝鮮半島人を管理するために設置されたと考えるのが妥当でしょう。 しかし、百済寺はあっても百済神社はなく(奈良時代の百済王神社は特殊ですね)、新羅神社や高麗神社はあっても新羅寺(三井寺は三井寺)や高麗寺(南山添高来寺は不明ですね)はない。 そこらへんが日本における半島由来の神社の紀元を考えるうえでのポイントとなりそうです。

韓国にはでも、神社はないんだよね。 百済の王族も新羅の王族も高句麗の王族も日本に来たのだけど、中国の秦や追われた人達も日本に来て、それぞれ、神社を作ったけれど、本国には神社はない。 なんでなんだろう。

韓国には神社はありませんが、南部や島部には堂(タン)というものがあります。小さな杜で神が宿っているとされています。神社から鳥居と社殿を除いたようなものです。日本の神社も古代は鳥居や社殿がなかったので、関係あるかもしれません。 岡谷公ニ著「神社の起源と古代朝鮮」に詳しいです。

当時、日本は鉄が取れず輸入に頼っていました。 特に朝鮮半島の支配地域からの鉄は、ヤマト王権の生命線と言っても良いものでした。 白村江の戦いの後、出雲で砂鉄が発見されて日本は半島に興味を失くしてしまいました。