時代とともに、車に要求される内容が、法的にも、個人の趣向的にも、
また、実用度などからも変わったので、ニーズがなくなったのだと思います。
スポーツ車は、その能力をそれにそったものにするほど、
走ること以外に取り得がなくなります。
応答性能を良くして、サスペンションがよく動くようにするならば、
それら機械類に割り当てるスペースが大きくなり、人間のスペースが削られます。
エンジンの性能を良くしようとすれば、機構が複雑になり、部品が高価になり、価格を押し上げます。
空力を磨こうとすれば、設計デザインにかかる費用がかさみ、部品の加工単価に跳ね返ります。
結果、実用性や使い勝手、人間の快適性からは遠ざかり、
それと引き換えに、類まれな動力性能や、個性的なスタイリングを獲得することになります。
省エネや、物価や年収の変動に伴うコストの変化など、スポーツカーを成立させる要素には、厳しい現実ばかりで、メーカーもその規格や努力の割に、
数が売れず、採算が取れないため、製造したくでもできず、結果、
スポーツカーは絶滅種になったのだと思います。
免許とってからずっと、そうしたスポーツカー、スーパーカーばかり乗ってきました。
若かりし頃はやせ我慢して乗っていましたが、人間も年をとると、
なかなか厳しいものがあります。
それでも、「車に嫌われないように」と、毎日身体を鍛えるようにはしていますが、そういったことは、もう既に一般的な価値観では無いのでしょう。
安く楽に速く移動できることのほうが、要求されるのが現実だと思います。
でもま、乗ったものにしか分からない世界ってのは、確かにありますので、
しばらくは、細々とでも生き残ってゆくのでは?とは思っています。