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2023/11/12 16:58

99回答

昔の人って、というかキリスト教の人たち?って なぜ、許しをもとめてるんですか? 蔑むか、 許しを求めるか、 許しを与えるばかりだな、とふと小説読んでて思いました。

宗教 | 文学、古典96閲覧

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回答(9件)

愛と赦しを体験してるからです。 もし、あなたがお父さんの大切な宝物を壊してしまったとして、以下のお父さんの対応のどちらが反省しやすいですか? ①『なんて事したんだ!どれほど大事なものかわかっているのか!』 ②『父さん、お前のこと許すよ。もう気にするな』 わたしは、②です。 本当に申し訳ない事をしたと悔います。 人間には赦しが必要です。 キリスト教徒はそれをよくわかっています。 何故なら神が私を許してくれたからです。 だから、私も許そう、となります。 自分が許されたからです。 赦しを体験してない者は、相手を許す事はできません。 神は私の罪が許されるために神の命という代価を払いました。 金額に換算できるものではありませんが、あえてわかりやすく例えるなら、世界中の国家予算と富を集めても全く足りないほどの私の借金を神は帳消しにしてくれました。 これに対し、私が誰かに貸した金額は何千、何万です。目くじら立てて取り立てようとは思わない、そうゆう事です。

キリスト教の神ヤハウェは許しの神だからです キリスト教の前身であるユダヤ教では、ヤハウェは罰を与える神でした。 ユダヤ人はかつてヤハウェの教えを破って他の神を信仰したり怠惰な生活をおくってしまったばかりに罰を受け、エルサレムという国を失い、流浪の民となったり差別されたりバビロンに囚われたりなど屈辱的で悲惨な歴史を重ねることになりました。 ユダヤ教ではその悲惨な歴史を、「ヤハウェの教えを破った罰だ」「だからヤハウェの教えは絶対であり、それを守らねばならない」と考え、今もなお、その罰は続いていると考えています。 キリスト教では、その罰はキリストが背負ってくれて替わりに罰を受けて死んだことで、人類は許された、ということになってます。 しかしまた人類が罪を重ねれば、いつかまたヤハウェが怒って罰を与えるかもしれません。 だから罪を洗いざらい告白し懺悔し許しを請うことが重要という教えになったのです。 これによってキリスト教ではヤハウェは許しの神となったのです。 …というのは建前で、その懺悔で人々の隠しごとを教会が把握し、弱みにつけこんで人々を支配するのに利用していた、ってのが真相でしょう。 だから教会は強大な権力を持つ事ができた。 国や王もその有用性に気付いたので、キリスト教を積極的に認めて布教に加担した。 …っていう感じかと。

多分、現代にくらべて、 生きていくのが大変だったからじゃないですかね。 自然環境が厳しい土地柄で、文明が発達してないと、 食べ物を得るのは変だし、不作で簡単に飢え死にするし、 医学が発達してないから、病気でも簡単に死にます。 仏教では、生老病死があって、 この世のすべては苦だと言ってます。 苦の根源は愚かさで、 愚かだから虚しいものに執着して、 それで自分を苦しめるとしています。 キリスト教は、アダムとイブが神の言いつけを破って、 禁断の木の実を食べた罪があるからだと考えました。 苦しい人生の原因を、仏教は愚かさだとして、 キリスト教は、神に背いた原罪だとしたわけです。 でも、日本のようにわりと暮らしやすい環境だと、 仏教は受け入れても、 この世の全ては苦しみだというところは、 あまり受け入れてないんですよね。 日本だと、天照大神をはじめ、神様はご先祖様だし、 宗教行事っていうと、秋祭りにお正月といった、 にぎやかで楽しい感じです。 苦しみだとか罪だとかよりも、 豊かさに感謝するのが日本人の宗教感覚なんでしょうね。