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なぜ村上源氏が源氏の中で家格が高いとされるのですか?

tir********さん

2009/8/313:26:49

なぜ村上源氏が源氏の中で家格が高いとされるのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

mas********さん

編集あり2009/8/316:19:00

まず、村上源氏の初代源師房は、父を早くなくし、
姉の夫であった藤原頼通に引き取られて育てられていました。
このころは頼通の父藤原道長も健在で、
師房は道長・頼通父子にたいへん可愛がられていました。
頼通になかなか男子ができなかったので、
道長はもし頼通に男子ができなかったら、
藤原北家嫡流を師房に継がせようと言ったとも言われています。
結局は師実を初め何人か男子ができたため、師房が継ぐことはありませんでしたが。
その後も村上源氏は藤原北家嫡流と婚姻関係を結び、
藤原北家嫡流とまるで同族のような関係にあったと言われます。

そういうわけで必然的に村上源氏の勢力は大きくなり、
ついに師房の孫、雅実に至って、源氏初の太政大臣まで上り詰めました。
その後も太政大臣を初め数多くの大臣を輩出しましたが、
特に平安末期から鎌倉にかけての土御門通親(雅実のひ孫)は
極官は内大臣だったものの、
後白河法皇・源頼朝両人の死と、関白九条兼実の失脚後、
他に並ぶもののないほどの権勢を誇りました。
朝廷、院、鎌倉幕府の全てが彼の影響下に置かれていたほどです。

こうして村上源氏は家格を源氏最高といわれるほどに高めたのです。
また、村上源氏は、全ての源氏のトップに立つ「源氏長者」を
嫡流の久我家が中世ごろまでほぼ独占するようになりました。
室町時代には足利義満を初め、
清和源氏足利家の将軍が何人か源氏長者の地位を奪ったものの、
足利家の権威失墜とともに再び久我家が源氏長者を取り戻しました。
しかし、江戸幕府将軍家の自称清和源氏の徳川氏に再び奪われ、
以後は徳川氏が源氏長者を世襲するようになりましたが、
その後も久我家を初め村上源氏が源氏最高の家格であることが
変わることはありませんでした。

質問した人からのコメント

2009/8/8 23:47:30

ありがとうございます

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

har********さん

2009/8/314:25:00

村上源氏といいましても、なにも武士だけがいたわけではなく、
公家社会に残った者が多くいたのです。

彼らは権力者の藤原北家と結び、
土御門家や堀川家などの藤原一門が、
村上源氏の長者として迎え入れられたりしましたので、
おそらく天皇のもっとも側にいる源氏という理由で、
公家の間で「村上源氏の家格が源氏姓では1番」
とされたのでしょうね。

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