ことわざで『仏の顔も三度まで』というのがありますが、四度目はどうなるんですか?
ことわざで『仏の顔も三度まで』というのがありますが、四度目はどうなるんですか?
日本語・150,140閲覧
5人が共感しています
ベストアンサー
このベストアンサーは投票で選ばれました
これが、ちょっと複雑なのです。 そもそも、「仏の顔も三度まで」という言葉が一般にはかなり浸透しているのですが、本来は「まで」は無く、「仏の顔も三度」です。 さらにこれは「仏の顔も三度撫づれば腹立つる」の略。 この「三度」というのは、仏様の顔を撫でる事なのです。 意味は、いくら慈悲深い仏様でも、顔を三度も撫でれば怒る、という事から、「普段どんなに優しく穏やかで滅多に腹など立てないような人でも、道理に合わない無法無体を重ねられれば、仕舞いには怒り出す」というような感じです。 もしもこれが「仏の顔も三度まで」ならば、「三度まで」撫でても許してくれるので、怒り出すのは四度目です。 しかし、本来の「仏の顔も三度撫づれば腹立つる」ならば、二度目までは許してくれても、三度目で怒り出す事になります。 というわけで、三度目でもう怒っているのですから、ご質問の四度目ともなれば、仏罰のひとつぐらい下ってもおかしくありませんね。 ……ところが、この「仏の顔も三度」の由来となった話までさかのぼると、また事情が違ってきます。 こちらに詳しく書かれているのですが、携帯電話から見られるでしょうか……? ↓ http://www.enpitu.ne.jp/m/v?id=104147&pg=20090426 以下、簡単にあらすじを説明します。 お釈迦様(仏様)が生まれた釈迦国の隣に、コーサラ国という強大な国がありました。 コーサラの王は妃を釈迦国から迎えたいと申し出たのですが、釈迦国の王は、武力に物を言わせるコーサラ国に王女を嫁がせるのを快く思わず、ある富豪が身分の低い女性に生ませた娘を、身分を偽ってコーサラ国に嫁がせました。 その娘が生んだ王子は、やがて自分の出生の秘密を知り、王位を継いだ後、恨み募る釈迦国を滅ぼそうと出兵します。 これを聞いたお釈迦様は、釈迦国へと続く一本道にある枯れ木の下に座禅して兵を待ちます。 王は、「お釈迦様、他に繁った木があるのに、なぜ枯れた木の下にお座りですか?」と尋ねました。 するとお釈迦様は「王よ、枯れ木でも親族の木陰は涼しいものである」と答え、自分が釈迦国の生まれである事を暗に伝えます。 昔からの言い伝えに、「遠征の時に僧に会ったなら兵を撤退させよ」というものがあり、王はそれに従って兵を撤退させます。 しかし、それでも王は怒りが収まらず、再び出兵。 お釈迦様はまた枯れ木の下で座禅をして待ち、同じやり取りで兵を退けます。 さらにこれが、三度目の出兵にも繰り返されます。 ですが、四度目には、お釈迦様も釈迦国にある因縁を悟り、兵を阻止する事をしなかった為、結局釈迦国はコーサラ国王によって滅ぼされてしまいました。 しかし、戦の7日後、恨みを晴らしたコーサラ王も、川で遊行をしていた際に暴風雨に襲われ、兵達とともに命を落とし、宮殿も雷の為に焼かれてしまいました。 ……と。 「仏の顔も三度」という言葉の由来には、このようなエピソードが下敷きとなっているのだそうです。 顔を撫でる、というのは、話を簡単にするためのものの喩えでしょう。 注目すべきは、ここでは仏様が「三度まで」コーサラ王の軍勢を退けている点です。 そして、四度目には怒ったわけではなく、「敢えて何もしない」という選択を行っています。慈悲をかけるのを諦めた、といったところでしょうか。 このエピソードにまで立ち返れば、「仏の顔も三度まで」という「まで」付きの言葉もあながち間違いではない、ともいえなくもありません。 それでも、現在では厳密には「仏の顔も三度」の方が正しいことわざとされていますし、三度目には「怒られる」という解釈になっています。 まあ、三度目にしろ四度目にしろ、怒られるにしろ見放されるにしろ、温厚な相手にでも無法無体を繰り返してはいけませんよ、という事ですね。 参考になれば幸いです。(礼
144人がナイス!しています