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三回忌は何の為?

nhqgc355さん

2009/9/210:36:48

三回忌は何の為?

先日父の三回忌を迎えました。
決められた法事事をこなしていくのではなく、毎回その意義を考えたいのですが、仏教に詳しくい当方、わかりません。

三回忌は何の為に行い、またそれにより故人はどうなる段階?時なのでしょうか?

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sirotti5121さん

2009/9/220:53:01

そもそも三回忌とは何か?をご説明する前に
故人が亡くなられてからの法事が何を意味するか?
から説明をしないとご理解が難しいかと思います。
長文になりますが予めご了承を^^;


仏教では有情(うじょう・命あるモノ)の生死を

・死有(しう) 前世における死の瞬間
・中有(ちゅうう) 死の瞬間から次に生を受けるまでの中間
・生有(しょうう・せいう) 次の世に生を受けた刹那の瞬間
・本有(ほんう・ほんぬ) 生を受けてから死に至るまでの間

以上の四つのサイクルに分けておりまして
死の瞬間である死有の状態を過ぎますと
中有と呼ばれる生きてるでも無く、死んでるでも無い
意識だけの状態を迎えることになると説かれています。

身体の動きが止まっても潜在的な余力によって
心の働きが暫く続く状態を指し、
いわゆる命の残り火のような状態で、
心の相続によって辛うじて意識が残留しており
モノを見たり聞いたりする事が出来ると言われ
経論では次の行き先を必死で探す状態であり
考えようによっては一番苦しい期間であるとも言われます。

この中有の状態に関しての記述は『阿毘達摩倶舎論』や
『大乗阿毘達摩大毘婆沙論』などに詳しく書いてあるんですが、
1サイクル=7日で、最大7サイクル=49日
残留する事が出来ると言われております。
この残留期間が長いか短いかは人によるわけですが
それを決定するのは何かというと自らの心に蓄積された

業(ごう・カルマ)の力=心に染みついた習慣や癖

これが、中有の滞在期間&次の行き先を決定するとされます。
多少語弊はありますが極論を言いますと

極悪人→身に付いた悪業の習慣によって問答無用で地獄行き
悟った人→同じく、習慣と善業の力によって速やかに解脱確定

こんな具合でして、良くも悪くも極端な人は
死の瞬間に次の行き先を選択すると言われています。
では、可もあり・不可もある我々一般人はと言いますと、
アッチをうろうろコッチをうろうろと非常に落ち着きが無く
焦った挙げ句、最悪の選択をしがちであると言われます。

仏教の葬儀で死者に向かって戒を授け、戒名を付けたり
通夜の時に枕元でお経を早口で読んだり
四十九日までの一週間毎にお経を唱え説法をするのは、
亡くなった人に対して慌ててマズイ選択をしないように
中有の期間一杯ギリギリまで引き留め、
仏さんの教えを聞いて、心を落ち着けて
自分の心についた悪い癖を自覚し反省し懺悔して
少しでも良い境遇を選択するように話しかけている訳です。

ともあれ、この中有の状態が終了しますと
俗に言う「旅立ち」という形になり、
ようやく本題に入れるわけで御座います。

さてインド発祥の伝統的経論が後に中国に入りますと、
このやや抽象的な中有の状態に
現実の延長のようなディティールが付加されて唐時代末に
『預修十王生七経』や『発心因縁十王経』といった
偽経が作られますと、道教の他界観と仏教の中有を融合させた
十王信仰と言うモノが成立いたします。

十王信仰に関しては先に回答されている方々が
詳しく解説されているので割愛いたしますが、
死者は中有の状態に入ると長い死出の旅を歩き
途中の関所で一週間ごとに取り調べを受け
四十九日で結審し六道のいずれかに送られます。
その後、ジャンピングチャンスとして
百箇日・一周忌・三回忌の日に追善供養を行えば
不本意な輪廻、曰く、地獄・餓鬼・畜生などの
三悪趣から亡者を救い上げ、修羅・人・天に居るならば、
善業が福徳として加算されるという
我が国でもお馴染みのあちらの世界の雛形が成立するわけですね。

はい!ようやく出ました「三回忌」!!(笑)
と、まあこのように節目ごとに冥界を司る裁判官・十王が
死者の生前犯した罪を裁くというのが節目の意味なんですね。
この十王信仰は平安時代に伝来し日本仏教独自の発展をとげ
江戸時代に十三仏信仰として結実し現在に至っております。

この場合は四十九日が終了しても、冥土にとどまり
三十三回忌の裁判が終了するまでは
次の行き先が決定せず割とノンビリとしたあの世暮らしでして、
一周忌から三十三回忌までの間に
どれだけ子孫から追善供養を受けるかによって
次の行き先が変わるというスタイルに落ち着きます。

長くなりましたが以上のように各法事は
「残された遺族が故人があの世で六道の苦界に落ちないよう
裁判が行われる節目に追善供養を行う」為のものなんですね。

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jyugaku2008さん

2009/9/222:36:12

十王経の説明は他の方がしていますので違う角度から説明します。

儒教で大切な区切りに成っていました。

三回忌(数え)のことを大祥忌と呼びますが、これは亡くなった方の家族が故人の亡くなる前の生活(もとの生活)に戻れるのでお目出度いという意味で大祥といいます。
中国では三回忌まで喪に服してました。喪中は親の遣っていたことを変えてはいけないそうです。三年(数え)過ぎてから自分の思い通りにできました。3回忌以降は日本で出来た風習です。

回忌は供養・追善・報恩・感謝等の為にします。ご先祖様は仏国土にいますのでその先祖様に自分たち残ったものがしっかりと生活をしている姿を見せるのが目的でも有ります。従って生活が苦しいときは法事をしないで頑張って仕事をします。そして生活が安定してご先祖様に喜んでもらえるように成ったら先祖の供養も致します。

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naka_photo00さん

編集あり2009/9/312:24:07

道教由来の十王信仰が仏教に取り込まれて地蔵信仰と習合し、さらに本地垂迹思想と集合して十仏信仰が成立するのが平安時代末期です。鎌倉時代には、主尊が追加されて十二仏信仰となり、虚空蔵菩薩が追加されて十三仏信仰が成立しました。それぞれの垂迹である十王と、本地である十三仏を主尊として行われているのが現在の年忌法要で、室町時代中頃までにはかなり広がっています(十三仏と呼ばれる石仏の遺品が日本各地にあります)。
もともと、十王思想や地獄思想は道教由来ですし、祖霊供養は儒教由来ですから、この十三仏信仰は色んな宗教が習合して成立しているのです。
唐代に中国で作られた『預修十王生七経』がありますが、極楽があるなら地獄があり、地獄があるなら地獄からの救済が必要となる、という発想です。
3回忌の主尊は阿弥陀如来。本来は、十王に対応していたのですから、この10番目の法要である3回忌でお終いになります。主尊には、全ての者を救済するという誓願を持つ阿弥陀如来がふさわしいということからだと思いますが、阿弥陀さんがあてられています。
つまりは、この段階で全ての罪人は地獄の十王の支配から放たれて、阿弥陀如来の引接によって浄土に向かう、となっているはずです。と書くと、その後の法要は何やねん?と突っ込みを受けることになっちゃいますが、祖霊供養日だとしか言えません。根拠が全くありませんから。しかも、近年、この「年忌法要」さらに増えてますから、説明は全く出来なくなります。というわけで、次回の年忌法要(七回忌)の説明は、私には不可能です。
追記;
設問とは無関係なので、まったくの蛇足ですが、wikiの十王信仰に記述されている「十三仏信仰」に関する記述、「江戸時代には十三仏信仰なるものが生まれるに至った」は、明らかな間違いです。参照された方はご留意願います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%8E%8B
石造美術などに十三仏信仰の広がりについての明らかな証拠があります。
県指定文化財、豊後高田市青宇田線刻弥陀来迎石仏(画像石)、至徳2(1385)年には、十三仏種子、十王庁展開図、阿弥陀来迎図、六地蔵、羅漢図が彫られています。これは、南北朝時代に十三仏が成立していたという明らかな証拠です。その後、
山口市徳地別石十三仏、応永14(1407)年
奈良市中町霊山寺墓地種子十三仏、明応元(1492)年
同、明応2(1493)年
高砂市曽根町黒岩磨崖十三仏、永正2(1505)年
生駒市鬼取町峰の薬師跡十三仏、永正7(1510)年
・・・と続き、室町中期以降、大永、享禄、天文の頃には日本各地で大流行しています。
徳島つるぎ町東福寺さま、茨城水戸市六地蔵寺さま、埼玉小鹿野町十輪寺さまにも、それぞれ県指定の絹本の図像があり、すべて室町期の作例です。

akifutaroさん

2009/9/211:30:33

ま、元々法要なんていうのは本来の仏教とは全くの無関係なんですけどね。

要はあの世は10審制なわけですよ。三回忌は3回目くらいの裁判ではないですか?

それで、故人があの世の裁判で極楽に行ける様に判決を出してもらうには、現世の子孫達が集まって、僧侶がお経を唱えることで、応援することによって、極楽に行ける判決を出してもらえると言うような信仰を、後世の人間が勝手に作り出したものです。

そうすれば坊主の定期的な収入に繋がるわけで、それを僧侶が江戸時代に檀家制度ができたときに、無知な庶民に広げたのが現在まで続いているだけです。

だから仏教国でもタイなどでは法要なんて風習はないようです。

日本の仏教は堕落しまくっています。

大体僧侶が妻帯・肉食ができると言うこと自体、本来の仏教とは大きく乖離しています。

日本の新興宗教にも怪しい宗教はたくさんありますが、既存の仏教もろくなもんじゃありません。

それを全く知らない我々にも問題があります。

檀家制度が諸悪の根源です!!

2009/9/211:05:29

年忌。で 調べてみると判ります

年忌(ねんき)とは、祥月命日。また、その日に営まれる仏事のこと。日本の仏教において、定められた年に故人に対して営まれる法要を、年忌法要(年回法要)という。追善供養のために営まれる。



中陰法要(忌明け)後、命日から100日目に「百ヶ日」の法要が行われるが、この「百ヶ日」と「一周忌」、「三回忌」の3つの法要は、中国の儒教の祭祀の影響によって付加されたものである。これは、亡者が「初七日」~「七七日(四十九日)」と「百ヶ日」を含めた8つの忌日と、「一周忌」、「三回忌」の2つの年忌の、合計10度の時点で、冥界の十人の王に審判を受けるという「十王信仰」に基づいている。


「七回忌」以降の法要は、日本で独自に付加されたものである。日本では11世紀以降に、十王信仰が広まった。さらにその後、鎌倉時代に、「七回忌」、「十三回忌」、「三十三回忌」が行われるようになったが、これは、「十三仏信仰」に基づいている

また、神道では三十三回忌をもって荒御霊が和御霊(祖霊)になるとするため、三十三回忌を区切りとする。日本の仏教の一部では、神仏習合の影響により、三十三回忌・五十回忌をめどに「祖先神」として一体化すると考える場合もある。

ーーーーーーーーーーーー

まあ 決められた法王による審判
の数の切れ目の年、と言ったところでしょうか

年間法要は、永遠に続けるのが理想であり、そういう願いをもつのは大切なことです。しかし、亡くなって百年も過ぎると、その故人の生前を知る人は皆無で、その故人の存在よりも、その家の先祖という抽象的な存在になるでしょう。

私も仏教に詳しくないですが
数々の法事をこなして行くと 親族の小さな赤ちゃんだった子が大きく成長したりする
そういった節目節目の供養で皆が集まること自体に 何か亡き人を微笑ますような 集まりができたらな、と考えます。

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