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公武合体派の岩倉具視は、何故倒幕派に転じたのか。

tek********さん

2009/12/1521:00:42

公武合体派の岩倉具視は、何故倒幕派に転じたのか。

和宮降下を推進した岩倉は、それで暫く左遷された訳ですが、その後どうして倒幕派に転じたのでしょうか。

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天網糸さん

編集あり2009/12/1716:10:09

岩倉は元々天皇・朝廷が政治の主役を担うべきという考えの持ち主だった。
井伊直弼が桜田門外で暗殺された結果、著しく幕府の権威が落ちてしまった。
岩倉が、和宮降嫁に難色をしめしていた当時の朝廷の空気を覆せたのは、窮地の幕府に公武合体という助け船を出すことで、朝廷の地位を高め、やがては幕府の上に朝廷が立つことも可能になると、孝明天皇以下有力公家達を説得したからだ。

結局、政局の変化とともに、岩倉は公武合体=佐幕派と看做されて失脚するが、彼の本質は勤皇であって、佐幕でも倒幕でもない。要するに天皇中心の国家体制を作りたかったのだ。
幕府と組んで公武合体を策したのも、薩長と組んで倒幕に動き出したのも、彼の根っ子にある勤皇精神から発したもので、首尾一貫している。

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ベストアンサー以外の回答

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mas********さん

2009/12/1521:05:32

公武合体の無理を悟ったからでしょう、時流が既に尊皇倒幕に傾いたから。
元々公武合体ってのは方便で、度台無理があった理想論です。

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