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貫高制と石高制がごちゃごちゃになるんですが解説をお願いします

tan********さん

2010/1/721:12:39

貫高制と石高制がごちゃごちゃになるんですが解説をお願いします

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mug********さん

2010/1/721:57:55

お金で表すのが貫高制です。

お米で表すのが石高制です。

信長はいち早く貫高制を導入しており経済に明るい人物といえます。
それに引き換え家康は石高制に戻しました。
農業技術の発達によりお米の価値が下がって税収が減り財政が圧迫する原因の一つになりました。
石高制を選んだ時点で徳川幕府の経済破綻は始まっていたと言えます。

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1〜1件/1件中

編集あり2010/1/821:04:42

貫高制でも、農作物で税を納めることもありましたし、石高制でも金銭で納税することもありました。

最大の違いは、

貫高制は、伝統を基にした定額制の自己申告の納税だったことです。
農民は武士に対して「昔から○○貫を納めてきましたから、これからも○○貫納めます。」
家来の武士は主君に対して「○○貫の税収がありますから、戦争の時は△人を率います。」
これが貫高制です。これは、戦国大名一般の普通の税制でした。
また、貫高制は中世の荘園制度を排除していない土地制度です。

石高制は、田畑を実測し、屋敷の広さや交通も目分量で加えた、ほぼ総生産に値します。この総生産に、%を掛けた税を払います。つまり、総生産・収入を、一応は把握されてしまっているのです。
武士が農民に対して「○○石だから、その4割の年貢を納めろ。」
主君が家来の武士に対して「□□□石の領地を支配しているのだから、△人の兵を率いろ。」
数字がキッチリと把握されているわけです。
石高制度は中世の荘園制度を完全に排除しています。石高制度と共に、名主・地侍による中間搾取を排され、自作農中心の村に変わっていきました。

☆しかし、石高制でも、検地から年数が経つと、その間の経済発展が不明なので、実質的な脱税が横行しました。これが、江戸時代の幕府・藩の財政難の主原因でした。

☆貫高制が廃れた理由は
1、中国製通貨の輸入が途絶えているのに、日本独自の通貨の製造が遅れた。信長から江戸時代極初期は、通貨不足の時代だった。
2、太閤検地以降、農家は自作農中心に経営規模が小さくなって、通貨を手にいれにくくなっていた。
3、米の増産。
などが考えられます。

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