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十字軍遠征の際のリチャード一世とサラディンの違いは

kiw********さん

2010/3/2001:11:02

十字軍遠征の際のリチャード一世とサラディンの違いは

一昔前までは、コーランか剣かといわれるほどイスラム教徒は評判が悪かった時代がありましたけど、十字軍遠征を見てみるとリチャード一世は極めて残虐で蛮行を働いています。

これに対してライバルのサラディンは非常に寛大です。サラディンは敵の捕虜を全員助けていますし、身代金の払えない捕虜は自分が身代金を払ってでも釈放しています。

サラディンの寛大さと比べてリチャードの蛮行はかなりのものです。この差は何によるものなんでしょうか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

da1********さん

2010/3/2010:23:45

>一昔前までは、コーランか剣かといわれるほどイスラム教徒は評判が悪かった時代がありましたけど
これはつまり、日本人が「世界史」を西洋人から学んだからです。日本人が直接イスラム教側の歴史を学ぶようになったため、誤解に気づきました。

リチャード1世とサラディンの違いは、彼らが育った環境の違いと言えるでしょう。サラディンが育った中東は周囲をいろいろな民族に囲まれています。異文化や異教が存在して当然の環境でした。イスラム帝国では税さえ払えばユダヤ教徒やキリスト教徒も存在を許されていたのです。
しかし、リチャードが見知っているイングランドやフランスは、キリスト教徒ばかりの世界でした。他の民族や異文化を知らなかったのです。そのため他の民族の人々を人間とみなさないような思想を鵜呑みにしてしまいました。

イスラム教徒と日ごろから接しているコンスタンティノープルやシチリア島では、キリスト教徒でもイスラム教徒と共存できていました。神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世の家臣にイスラム教徒がいたし、コンスタンティノープルに駐留していた第4次十字軍がそこを征服したのは十字軍がイスラム教徒を虐殺したのを市民が非難したことがきっかけです。

つまり中東のイスラム教徒をはじめ、コンスタンティノープルやシチリア島のキリスト教徒は異文化の存在に慣れていたために相手を人間と認め、寛容に振舞う準備ができていました。しかしフランスやイングランドのような僻地では異文化と接する機会がなく、相手を決して融和できない存在、人間として扱う必要のない存在とみなしてしまったのです。

質問した人からのコメント

2010/3/21 11:29:56

降参 お二人の方ともとても参考になりました。BAは選択に困りましたけど今回はこの方に差し上げます。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

san********さん

編集あり2010/3/2012:35:51

まず、この時代の人々の倫理や価値観は宗教と密接に関連していることを前提とすると、排他的なカトリックと寛容的なイスラム(寛容的なためイスラムは大流行しました)の差であると思います。

また、サラディンとリチャードの対峙する絵の通り、キリスト教徒は一方的にイスラムを野蛮な宗教と決めつけていました。キリスト教徒の無知が殺戮という結果に繋がったとも考えられます。
あと、時期的に言うと、12C〜15Cはイスラムが世界を席巻する時期です。そのため、カトリックはイスラム殲滅に躍起になっていたのでしょう。


ちなみに、サラディンは実の弟の説得により捕虜を殺すの止めたそうです。これは、弟のラディカルな発想(歴史上初めて捕虜を処刑しなかった)とサラディンの深い理解の賜物だと思います。

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