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弥陀の化身である善導大師の主張

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ID非公開さん

2010/5/1710:22:19

弥陀の化身である善導大師の主張

『専念弥陀名号』とは具体的にどのような行為なのでしょう。
玄義分には以下のように示されています。

●一心信楽 求願往生 上盡一形 下收十念 乗佛願力 莫不皆往
●但能上盡一形 下至十念 以佛願力 莫不皆往
●無量寿経云『法蔵比丘 在世饒王佛所 行菩薩道時 發四十八願 一一願言 若我得佛 十方衆生 稱我名號 願生我国 下至十念 若不生者 不取正覚

この文を見ると善導大師は、十念を実践すれば阿弥陀仏の本願力によって、必ず往生できる事を主張されている事がわかります。更には、三番目の文・無量寿経云『・・・』から【専念弥陀名號】とは【稱我名號】と同じ意味として捉える。つまり、称名念仏一行の実践こそが『専念弥陀名號』であり、これは、何を意味する事かと言えば、この専念弥陀名號の実践こそが、阿弥陀仏の主張する『正定之業』である。弥陀化身の善導大師から聞く、弥陀の直説である。
阿弥陀仏は、第18願を通じた称名念仏実践者の救済こそが、本願の行である事。弥陀の本意である事を私達は知らなければならない。

この事をふまえて、元祖法然上人は『ただ一向に念仏すべし』と、仰せられける。
今、勅傳をみるに、元祖様と弟子の会話が随所に示され、私達は、そこから学ばなければならない事は、元祖様がよく仰せになる『ほとけ助け給え』というお言葉である。これが実は本願念仏に他ならない。
現在、仏説の三部経をよりどころとする宗派は新興宗教も含め多々ある。
本来、釈迦も弥陀も一佛であり、本意も一つでなければならない。凡夫の勝手な仕分け作業で、弥陀釈迦二尊の教えが凡夫によって様々な教えに変貌された事は実に悲しい事である。
元祖宣く、すべて、『ほとけ助け給え』と思いて名号を称えるにすぎたる事はなき也。このほかによしと思うも驕慢の至りなり。あしきと思うも妄念のわざなり。

一切衆生救済の為に阿弥陀佛は本願をおこされました。その本願の行であるお念仏の理解を、元祖様に統一する事は難しいのでしょうか?
往生する場所・阿弥陀佛・お念仏の名称は同じでも、弥陀釈迦二尊の教えでない、釦の掛け違いは、やはり最初から正しくしないとなおらない(理解)できないのでしょうか?

補足天下一品の菊あり。この苗を移植して第一の變種を生じ、この變種を移植して第二の變種を生ず、斯くて親菊の優秀を失ふが如し。しかれば、阿弥陀仏の本意はただ一つ也。元祖の遺教のみ有りて以て規矩準縄するに足る。この外に奥ふかきことを存ぜば、二尊のあはれみにはずれ、本願にもれ候べし。と言う事。まさに直参すべき思いで感じ取るべし。

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ベストアンサーに選ばれた回答

ぷっくまさん

編集あり2010/5/1920:40:51

回答ではなく私信です。
shamosikaさん、例の掲示板を使ってください。あそこなら、思いっきり議論できますし、そのために用意したわけですから。

さらに、回答ではなく質問の所感として。
回答するとしたらと思ったことは、ほとんどshamosikaさんとnonono012301さんが答えられていますので、
ほとんど私が答えることはないですね。

むしろ、回答するつもりは全くなかったのですが、shamosikaさんの
「ところで・・・何ゆえソコまでして浄土真宗の教義解釈は間違っておる・・・お念仏の理解に欠陥がある・・・論破できるぞ・・・と意気込んでいらっしゃるのですか?・・・」という一言で突き動かされたというのが、本当のところですが、
君はどこへ行こうとしているの?という気持ちですね。
その点では、shamosikaさんも同じように思っているでしょうし、
そんな君に危うさを感じずにはいられないわけであります。
(君には大きなお世話かもしれませんが)

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質問した人からのコメント

2010/5/19 23:57:54

降参 先輩に誘われてロッテ戦観戦で今帰宅。すみません。論破という小さな世俗の価値みたいな事は、まったく興味がありません。せっかく人間に命を頂き、お念仏の教えに出会ったのに、往生できないって!一大事です。安心して、乗船している船は、実は、行き先も、運転手も違ってます。弥陀本願の船はこちらです。ご案内します。蓋をとっぱらいましょう。あっ!どうやって会話ができましょうか?わかりません??

ベストアンサー以外の回答

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ano********さん

2010/5/1922:28:07

別IDを使いスミマセン。shamosikaです。回答ではなく疑問があったので逆に質問を。

>>「~~下至十念 以佛願力~~」
>>この文を見ると善導大師は、十念を実践すれば
深く学ばれているdnxwd690さんに教えて頂きたいのですが、この「十念」のさまは一体どういった形になるのでしょうか?・・・十回の念仏でいいという事でしょうか。それとも「弥陀への助け給えの一心」に極まった心での十念でしょうか。


あと一つ、提案が。
やはりココ知恵袋では疑問での質問⇒回答⇒BA選択のみ限定形式なので、それじゃあ辛いでしょうとpukuma_teddybearさんから、掲示板を使ってもいいよとお許しがあったのでその掲示板たる
「百家争鳴!」http://9322.teacup.com/hyakka_soumei/bbs
をご案内いたします。

sha********さん

編集あり2010/5/1922:13:16

先に勝手な私の【お願い】・・・同意されるもされぬも質問者さんのお考え次第ですが・・・「願わくは回答期限近くまで、簡単に決着されずに回答を募って」頂ければ誠に嬉しい限りです。複数の他回答を見たい故です。(出るかどうかは分りませんが)

こんばんは。私の回答『専念弥陀名号』とは「もっぱら南無阿弥陀仏を念ずべし」ですね・・・勿論こんな回答を聞きたくての質問では無い事は想像していますが、一応何か言うなら質問に沿って答えるべき知恵袋ですから。

で、なんでこんな事したのかというと・・・dnxwd690さんの先の解決済み質問【浄土真宗・大谷派の貞信尼】に意見を述べたかったからです。・・・ところで知恵袋を掲示板的に使うのは規則違反行為ですが少なくとも質問者がその方向性に納得して下されば明らかな違反・迷惑行為まではいかないかなぁと思います。そろそろ dnxwd690さんも随時返答用別IDはいかがですか?

話を戻します。【浄土真宗・大谷派の貞信尼】について
「實に称えぬ者こそ最大の自力に非ずして何ぞ」・・・そうだと思います。すでに届いている本願のハタラキを疑謗し「アホらしい、時間を無駄にして称えてなどいられるか」とお称えさせて頂く事を「偏った自我」で引き止めている・・・まさに最大の「自力の愚かさ」=無明です。

>>親鸞聖人曰く『専修とは仏名を称念して自力の心を離る』
この引用部分は一体何から(出典)の引用ですか?・・聞いた事がないのですが?

>>しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。建仁元年
>>親鸞聖人は雑行を捨てて、法然上人がお説きになる専修念仏の教えに
>>帰依してますょ^^勿論ご存知ですよね。
ええ、勿論存じております。『雑行を棄てて本願に帰す』=自力を棄て他力のご本願に帰されたお聖人です。ただしかしというか・・・その「念仏」の意味合いが現在の浄土宗と浄土真宗(親鸞さまのご理解として)では違うという事ですネ。

ところで・・・何ゆえソコまでして浄土真宗の教義解釈は間違っておる・・・お念仏の理解に欠陥がある・・・否定し論破せねば・・・と意気込んでいらっしゃるのですか?・・・浄土宗と並んで正式に「浄土真宗」と組織として名乗りを上げてからどの位年月が経っていますか?その数百年を掛けても浄土宗側では浄土真宗の念仏を論理的に完全否定する事は出来ずに今もって平行線のままではないでしょうか(単に「聞く耳を持たぬから」では無い筈です)・・・「宗旨の違いに固執せずお互いの己が仏道を歩もう」でもよろしいかと。

逆に一点お尋ねしたき事があります。浄土宗においては「戒と出家」がございますよね。出家者=僧ですよね、浄土真宗にはソレに該当する僧たる者は勿論いませんが、となると在家信徒で僧では無い(と判断させて頂きました)dnxwd690さんと「持戒し出家者たる」僧の方々では「往生浄土」の様は同じなのですか?同じならなぜ「出家」が存在するのですか?また法然さまはお念仏に出会った方々に大いに「出家」を薦めていらっしゃったのですか?

残念ながら今までのdnxwd690さんのお考え理論では、私が「頂いていくべき『ご信心』」の道は揺り動きません。信心こそ正因となり、称名は恩に報いていく姿・・・です。ただ私の聞いてきた上で加えると「称名」は報恩だけではなく「聞法」でもある・・・と考えています。

先のnonono012301さんの「気持ちも分からんではないけども信を文字に置いてる人に何を言っても無駄ですよ」・・・まさにその通り。信を深め(深まってきた)人はそう簡単にグラつかないでしょう。なにせ仏縁始まりの頃の「信」への疑いグラつきを過ぎて今に到っているでしょうから・・・dnxwd690さんもnonono012301 さんも同様でしょう。
また「仏教に自力はありません。全宗で他力です」・・・そうだと思います。他力での詳細と過程は違えどもやはり「ついには我を超え捨て、他力になる」のでしょう。


私は浄土宗での専修念仏成仏道も私どもの浄土真宗での本願他力念仏の成仏道も共に価値のある素晴らしい道だと考えております。私も以前は『浄土宗では阿弥陀の元に近づいていく「自力」ゆえ成仏にはほど遠い』・・・と見下げる気持ちがありましたが、今はその考えではありません。私としても本願他力によってのみしか救われていく事の出来ない悪人たる我が身が我が方と違うからといって安易に浄土宗を非難卑下出来る身であろうか・・・私にとり今必要なのは、ただこの今照らされた道をみみ仏と共に歩ませて頂くしかない・・・そのように思っています。


最後に同じく月を詠んだ歌でお答え致します。
「阿弥陀には 隔つる心はなけれども 蓋(ふた)ある水に月は宿らじ」
・・・本願他力です。

non********さん

2010/5/1901:18:47

こんばんは。

帰ってきたウルトラマンです。
貴方の気持ちも分からんではないけども信を文字に置いてる人に何を言っても無駄ですよ。
日蓮正宗、創価学会に近いものがあります。

さて、師の師が大日如来様から授かった経典があります。
1週間、大日如来様と交信されて編纂された般若心経ぐらいの経典です。
全文は控えますが念仏の奥義が載ってますので少し抜粋して載せます。

「衆生聞語名号 信心歓喜乃至 一念至心回向
願照彼国 即身成仏 聚不退転の位いに住する」

「光明遍照十方世界
念仏衆生 摂取不捨とはとかれたり」

そして、その際の法要では「南無阿弥陀仏」を百万遍になるように唱えられます。

私らの感覚では南無阿弥陀仏は全ての仏様を対象にしてる感じかな~
本尊は不動明王様だし。
大日如来様の化身ですけど。
ひょっとしたら阿弥陀如来様も大日如来様の化身かも。大日如来様が念仏を唱えよと言ってる訳だし。
もちろん お釈迦様も念仏を唱えよとおっしゃってます。

他力の念仏は煩悩が有る限りは絶対に無理
(煩悩があれば我の念仏)
なので、一心不乱に念仏して煩悩を仏様に預けるしかない訳です。

「助けたまえ」です。

仏教に自力はありません。全宗 他力です。
諸法無我が基本ですから他力で当たり前です。

修行の途中から他力に変わります。

それと貴方の言われる通り仏様に近い人は死後、三途の川に仏様が来迎されます。
小さな小舟に乗って来られます。
亡者はそれが見えず、煩悩で出来た立派な船に乗り込みます。
その船は三途の川にあっという間に沈み地獄に墜ちて行きます。

仏様の弘誓の船は南無阿弥陀仏の旗をなびかせながら浄土に行きます。

本当の事です。

ノアの箱舟の話もこれだったりして。

最後に大日如来様は、お釈迦様、空海様、法然様、親鸞様 いずれも正法の導師とおっしゃってますから、親鸞聖人を咎めるのは五逆罪に入りますよ。
止めた方がいいと思います。
親鸞聖人の域になれば、となえる念仏も仏様と一体になり
となえさせて頂いているになるのでしょう。

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