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武田信玄は、鉄砲を持っていましたね?

rit********さん

2010/5/2200:00:36

武田信玄は、鉄砲を持っていましたね?

どれくらい持っていたのでしょうか。
鉄砲の有用性は認識していたと言うことを聞きます。
川中島などの戦いでも使用したのでしょうか。
数百丁くらいもっていたのでしょうか。
数千丁は無理でしょうか。
(鉄砲を千丁も集められるだけの経済力はない?)

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tha********さん

2010/5/2418:35:50

武田騎馬隊を組織する信玄にしてみると、なんとも次の弾の発射に時間がかかることが、最大のネックだったでしょう。

鉄砲の威力はハッキリと認識していたでしょうが、ドーンと撃った後に武田自慢の騎馬隊が間合いを詰めて突っ込まれたら結局乱戦になりますよね、このような乱戦では弓も鉄砲も、味方を撃ってしまうかも知れないので使用できません。

それに一丁あたりの単価が高額だったので、費用対効果を考えて購入していたのではないでしょうか。

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tsm********さん

編集あり2010/5/2213:52:17

ちゃんと持っていましたよ。
例えば、第2回川中島の戦い(天文24年・1555年)では、旭山城に援兵3千と弓8百張、鉄砲3百挺を送ったとされています(『勝山記』)。もちろんそのまま受け取ることはできませんが、伝来から12年後にはそれなりの数の鉄砲は持っていたと推測されます。信玄はきちんと最新式の武器にも着目していたわけで、単純な旧弊型の人間だったとはいえません。
信玄の最盛期に、武田軍がどれだけの鉄砲を保有していたのか、正確なことはわかりません。参考までにライバル上杉軍の軍役帳を見ると、鉄砲の数は全体の5~6%。仮にその数字を武田軍3万に当てはめてみると、1500~1800挺となります。
作家の新田次郎は、小説『武田信玄』のなかで「早くから鉄砲に着目していた信玄が、三方が原の戦いの時に鉄砲を持っていなかったとは考えられない。おそらく千挺かそこらの鉄砲は持っていたのではないか」と述べています。

hkn********さん

2010/5/2205:01:23

質問の趣旨とは外れますが、武田家は初めて竹束盾を考案して実践投入しています。
従来の矢を防ぐ木製の盾では鉄砲の弾が貫通してしまうので、竹を束ねることで弾の軌道を逸らすのが目的だったようです。
つまり、戦における鉄砲の重要性を早くから認識していて創意工夫していたということです。

この事実を考える限り、「長篠の戦いで鉄砲の重要性に気付かなかった武田軍は、大量に鉄砲を揃えた織田・徳川連合に敗れた」という歴史の見方は見事なまでにに的外れなものと言っていいでしょう。


軍役でも鉄砲の数を定めているので、一応は全体で数百丁単位では持っていたと思います。
ただし、軍全体では数百丁でも実際に運用するとなると武田の軍制は国人領主の寄り合い所帯であり、数百丁の鉄砲と鉄砲足軽を集めて鉄砲隊を編成できる権限は武田家当主といえども無く、各隊が保有する十数丁程度の鉄砲を弓矢や礫に混じって撃ちかけるもので、とても「鉄砲隊」として運用できるような規模では無かったのではないかと思います。

oto********さん

2010/5/2201:25:45

長篠の合戦時の織田軍だって三千丁ではなく千丁に三を書きくわえた説が(珍説ではなく)あるのに、それより以前の田舎で貧乏で債務超過状態に陥っていた(だから税率や労役が日本一レベルにきびしかった)極悪領主の信玄が旧式も含めて500丁を超えてあったなんて考えられません。

yam********さん

2010/5/2200:09:45

火薬が輸入だから、持ってても少数では?

武田勝頼の時代でも、鉄砲の火力をあなどって、長篠で大敗しているし。

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