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学校の授業で西洋史を履修しているんですけれども問題を出されわからないことがあ...

kan********さん

2010/7/915:16:07

学校の授業で西洋史を履修しているんですけれども問題を出されわからないことがあります。 紀元後3世紀から10世紀までのヨーロッパには様々な集団が外部より侵入し、大きな影響を与えた。これらの外部勢力の活動とその影響について書け。という問題です。よろしくお願いします。

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may********さん

2010/7/922:13:35

ゲルマン人の一部は平和裡にローマ領内に入って定着し

農民あるいは軍人となりました。

大規模な侵入がはじまったのは4世紀後半、

フン族の西侵に刺激され

ゲルマン諸族の大移動が生じ、

ローマ軍隊のゲルマン化が顕著に進みました。

これらの「蛮族王国」のうち、フランク族が

ガリア、イタリア、ゲルマニアの一部に及ぶ地域に

新たな政治的統一を完成し、

西ヨーロッパ形成の主役となりました。

フランク王国を建設したのは、

フランク諸部族を統一したサリー族のクローヴィスです。

彼は496年正統派キリスト教に改宗した為、

ローマ教会及び、ローマ系住民の支持を獲得し

メロヴィング朝を創始し、

その王朝の宮宰カールマルテルは、

トゥールポワティエの戦いで

イスラムの侵入からヨーロッパを守りました。

このことは重要な意味を持ちます。

やがてカールマルテルの子ピピンと

その子シャルルマーニュは

メロヴィング朝を廃し、

カロリング朝を創設しました。

ローマ教会に頼られ

教皇領を寄進する等で教皇の覚えめでたく

レオ3世により、

西ローマ皇帝の冠を授けられます。

ここにローマ帝国が復活、

西ヨーロッパ世界が確立することになります。

やがて東方ギリシャ正教(ビザンツ帝国)と

西側のラテンカトリック圏(西ヨーロッパ)は

1054年正式に東西分裂し、

宗教的にも対立することになります。

西側のシャルルマーニュの戴冠は、

文化的にもゲルマン民族、

キリスト教文化、古代ギリシャ・ローマ文化を

融合させ新しい文化圏を出現させたと言えます。

カロリング朝は、現在のフランス・イタリア・ドイツの基である

東西フランク及びイタリアの三国に分裂します。

イングランドに侵入したのはアングロ族・サクソン族

であり、「七王国」が建国されました。

七王国の一つ、ウェセクス王朝の

アルフレッド大王はノルマン人と戦いつつ、

イングランドを統一しました。

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