ここから本文です

祖母に教わったお手玉の歌なのですが この歌の意味や詳しい時代背景などを教えて...

xxx********さん

2010/7/2120:36:03

祖母に教わったお手玉の歌なのですが
この歌の意味や詳しい時代背景などを教えて欲しいです。

一列談判破裂して
日露戦争はじまった
さっさと逃げるはロシアの兵
死んでも尽くすは日本の兵
五万の兵を引き連れて、

六人残して皆殺し
七月八日の闘いに
ハルピンまでも攻め寄せて
クロパトキンの首を取り
東郷大将 万々歳

閲覧数:
35,893
回答数:
3

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

wor********さん

編集あり2010/7/2214:08:01

おばあ様がこの歌を覚えているなんて
なんともいえない感激がありますね。
戦前のわらべ歌とかはこういった類のものが
あるのですが
意訳をいれて説明しますと

まずこの歌の背景は日露戦争を当時を
風刺したもので1904~1905年ごろの話です。

[一列談判破裂して]
ロシア軍が満州に居座って南下する気配があるのを
外交的に何とか話をつけようと日本がしたのですが
この交渉が決裂したことを指します。

[日露戦争はじまった]
1904年の日露開戦

[さっさと逃げるはロシアの兵]
後に出てくるクロパトキン将軍の指揮する
ロシア軍は踏ん張って戦うよりも退却する場合が多く
あまり積極的な攻撃をしなかったことを「さっさと逃げる」と
表現しています。

[死んでも尽くすは日本の兵]
日露戦争の前の日清戦争の際に
木口小平というラッパ卒が「死んでもラッパを離さなかった」
という話がこの時代すでに浸透しており
文字通り死ぬまで国に尽くすという信念を
多くの日本人は持っていました。

[五万の兵を引き連れて]
いちれつ→1
にちろ→2
さっさ→3
と、いうように数の言葉遊びできたので
「5万」は数字を当てただけですが
史実に照らし合わせれば
旅順要塞攻防戦で戦ったロシア軍の兵力が約5万です。

[六人残して皆殺し]
実際はこのような残酷なことはありませんが
「ろく」と、ここも数遊びです。
ただ、先の旅順要塞攻防戦のロシア軍約5万が
正しいとすれば間違いなく旅順要塞攻防戦の
激戦を表現していると思われます。
この戦いは軍司令官だった乃木大将の
たった2人の息子も戦死しました。
軍司令官は部下が息子さんが危険だから
後方へ勤務させるようにとの進言を
自分の息子だけ特別扱いはできない
と断ったのです。そして自身も
戦死する覚悟で戦い
大損害の後陥落させたのでした。

[七月八日の闘いに]
これも数の言葉遊び

[ハルピンまでも攻め寄せて]
実際はハルピンまで攻め寄せてはいませんが
ハルピンに近い奉天まで攻め込みます。
奉天をめぐる奉天大会戦は有史以来
日露両軍60万が激突する大会戦となりました。

[クロパトキンの首を取り]
クロパトキンは奉天大会戦のロシア軍司令官でした。
奉天ではクロパトキンは積極的攻撃に出ず
結局は退却し日本軍に敗れました。
これを「首を取った」と揶揄しています。

[東郷大将 万々歳]
東郷大将は日本海海戦で
連合艦隊を率いいた東郷平八郎大将のことです。
日本海海戦で当時ロシアが最強と誇った
バルチック艦隊を見事に撃滅し
連合艦隊の被害は水雷艇2隻のみでした。
これは「史上まれな完全勝利」として称賛されました。
東郷大将は国民の英雄となり世界各国の海軍では
英国のネルソン提督と並ぶ名将と今なお讃えられています。
死後の国葬には各国から弔問団が訪れ
現在、都内の東郷神社に祭られています。



戦前はけっこうこういった戦物や歴史物の童歌が
あります。「いち、に、さ」とテンポよく運ぶところが子どもらしい。
日露の戦いは小学校の国語の教科書や唱歌の教科書に
載るくらいで戦前の子どもはよく知っていました。
「水師営の会見」は有名どころで
旅順が陥落した際に乃木将軍と敵だったステッセル将軍が
会見した時の様子を唄ったもので
「昨日の敵は今日の友」と打ち解けて互いの武勇を讃えあう
というホノボノとした戦いの後を唄っています。

こういう童歌や唱歌を戦後生まれの私たちは
なかなか知りませんので世代間の話題性に欠けることは
否定しえないかと思います。

以上、長文で申し訳ありません。

質問した人からのコメント

2010/7/26 14:08:16

感謝 数字の部分が特に気になっていたのですが言葉遊びだったんですね。

詳しい回答ありがとうございました!

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

iik********さん

2010/7/2120:56:47

まんまじゃないですか?
ハルピンが満州の都市名、クロパトキンがロシア軍の総司令官、で、あとは1~10までの語呂合わせですよね。
ま、日露戦争のフィナーレは日本海海戦、として東郷で終わるという、よくできてますね。
5万とか6人とかは特に意味ないんじゃないですか?
それにしても、東郷「元帥」となっていないところに、当時の作品!という主張がありますなあ。

him********さん

2010/7/2120:51:25

題名 日 露 戦 争
一 一列談判(らんぱん)破裂して
二 日露戦争始まった
三 さっさと逃げるはロシヤの兵
四 死んでも(死ぬまで)尽くすは日本の兵
五 五万の兵(御門の兵)を引き連れて
六 六人残して皆殺し
七 七月八日の戦いに
八 ハルピンまでも攻め込んで(寄って)
九 クロポトキン(クロパトキン)の首を取り
十 東郷元帥(大将)万々才(十でとうとう大勝利)

日露戦争
明治37年、38年にわたった日本とロシアの戦争

クロパトキン
ロシヤの将軍で、日露戦争では満州軍総司令官を務めた。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる