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写植の全盛期から現在まで、一貫してタイポグラフィ業界で働いていらっしゃるかた...

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ID非公開さん

2010/8/2907:41:42

写植の全盛期から現在まで、一貫してタイポグラフィ業界で働いていらっしゃるかたへ質問します。

90年代以降の大変革時代をどのように乗り切られて来られたのでしょうか?
具体的に現場では、どのような変革がどの時期にどんなかたちで起こったのでしょうか?

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d1o********さん

編集あり2010/8/2923:22:24

いちデザイナーとしての経験を簡単に書きます。
いわゆるバブル崩壊と昭和天皇の崩御があって、今まで経験したことの無い不景気がやってきました。
そしてその後の10年くらいの間に、写植も含む手作業によるデザイン・版下作業からDTPへの以降がゆっくりと進んでゆきました。
はじめは、ただの景気循環による不景気と、多くの経済アナリストは判断をしていましたが、実際は日本経済全体の地殻変動だったのです。
国内の製造業が中国、東南アジアに生産拠点を移し国内から仕事がなくなるという、産業の空洞化と、印刷を含むデザイン業界のシステムの変革が同時にやってきていたのです。
デザイン業界で言えば、DTPの出現は、絵の下手な人、字の下手な人にとっては福音でしたが、カンプやレタリングの技術を持った人たちにとっては死活問題でした。写植屋さんは当然のごとく次から次へと倒産・廃業してゆきました。最も大きな打撃を受けたのは清打タイプ(和文タイプ)屋さんでした。これはワープロ(単能機)が登場してすぐにだめになりました。その後のMacの登場で、写植屋、版下屋、トレース屋、エアブラシ屋などの職人は仕事を失いました。
一部私のような新しい物好きは、マックを買って時代の変化に対応しようとしましたが、何しろ素人が競争相手で、仕事の単価が半分以下になってしまいました。
仕事の流れは発注者に近いほど有利な状況になり、技術的なアドバンテージはなくなってしまいました。
今私はwebのデータを作っていますが、数年前のmdnに載っていた資料によると、私の年代で私と同じ仕事をしている人は3パーセントいないみたいです。(笑)・・・いまや私などは絶滅危惧種と呼ばれてもいいと思います。

>> 90年代以降の大変革時代をどのように乗り切られて来られたのでしょうか?
つまり、ほんの一握りの人を除いて、乗り切れた人はほとんどいなかった。と思って間違いありません。

追記
思い出したので、モリサワについてちょっと書いてみます。
写植の全盛時代(バブルのころ)は、ご存じないかと思いますが写研をいう会社が、写植機(書体も含む)の90パーセント以上のシェアを持っていました。モリサワはほぼ10パーセントくらい。東京都内では5パーセントくらいでしょうか。モリサワはそんなものしかなく、モリサワの書体などほとんど見かけませんでした。
写研はデザイナーに積極的に書体を売り込み、写研の書体を浸透させていきました。同時にコンテストを開き書体を公募もしました。懸賞金目当てに多くのデザイナーが参加し、毎年その優秀作品が発売されました。これらの効果により、広告業界を中心に写研の書体が広く普及したのです。
モリサワは地味に写植屋さんを回って営業していましたが、写植屋のオペレーターには書体を指定する権限がありません。そういう意味でモリサワは戦略を誤っていたのでしょう。もちろんあとから書体の公募なども行いましたが、焼け石に水でした。
商売としての限界を感じたモリサワは、欧米で始まった印刷のコンピュータ化の方向に活路を見出すべく、書体のデータ化(ポストスクリプト化)に向かいます。写研はコンピュータなどという当時まだ未知数のものに手を出す気も無く、圧倒的なシェアを背景に殿様商売を続けていました。
マッキントッシュが日本語フォントを載せるとき、osakaを採用したのはそのような経緯があったようです。
当時、写植業界ではモリサワの書体を大阪という符丁で呼んでいました。
(実際、osakaとBBBのちがいがわかりますか)

今、ネットで出てくるこのころの情報は、私が実際に見てきたものとちょっと違うので、この話を読んで”えっ”と違和感を持つ人もいるかもしれませんが、これが実際の話です。
どうしようもなく追い詰められたモリサワが、現在のような状況になるとは誰も想像できなかったことです。時代の変化と言うものは恐ろしいものです。何が幸いするかわからないものです。

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質問した人からのコメント

2010/8/29 23:55:26

字数が限られ、手短かではありますが心から感謝申し上げます。
モリサワは25年前に私が最初に触った機械でよく知っています。(もちろん手動です。講習は飯田橋の本社でした)其の後、写研に転向しましたが、当時の会社の社長と大ゲンカの末、足を洗いました(86年)。
現在まで私は全く畑違いの、商社に勤務しており、幸か不幸か『90年代』を全く知りません。当時を懐かしく思いますが、当時の同僚は全て音信不通です。

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