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よく映画とかゲームでソ連兵は銃は二人に一丁という描写がありますが あれは本当...

gta********さん

2010/10/323:58:51

よく映画とかゲームでソ連兵は銃は二人に一丁という描写がありますが
あれは本当にあったのですか?

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gbr********さん

2010/10/404:23:34

ソ連のように堂々と?ではありませんが日本陸軍の場合はフイリピンで戦った作家・大岡昇平が自分の体験を書いています

渡された銃が壊れていて使えなかったのですが上官は誰かが戦死したらその銃を使えと言つたそうです

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jp_********さん

2010/10/401:02:15

ソ連は独ソ戦緒戦の大敗で負った傷が大変大きく、最初のうちに多大な兵器と、経験豊かな将兵が失われてしまいました。
少なくとも生産工場の東方疎開とその操業再開や、連合国からの物資援助が軌道に乗るまでの間は、ソ連は非常に厳しい物資と優秀な人員の不足に悩まされ続けていました。
さらには軍部は赤軍大粛清の痛手からも立ち直っておらず、優秀な指揮官が常に不在で、まともな作戦を立てることも実行することも困難な状況でしたので、当時のドイツ軍に優越している点は、地の利と徴兵可能人員の量だけでした。

ドイツがモスクワ近郊侵出や、スターリングラード攻防戦が起こるくらいまでが最も酷く、兵士はあらゆる地方農村から徴募し、1~2週間ほどの訓練を受けたらすぐに出征させられました。武器も不足が激しく、銃は2人で1挺で、銃を持たない方は弾薬を1クリップだけ渡されました。片方が撃たれたら、もう1人が銃を拾って攻撃を継続する、というものでした。

しかし、1942年以降は、工業生産や物資援助が軌道に乗り始め、そんな酷い状況は一気に改善されていきました。それまでは共産党の政治委員などが、厳しい督戦などをしていて、後退した者を射殺したりするなどの、無茶な戦闘指導を行っていましたが、それも赤軍が経験をつみ、ドイツに対して反撃作戦をいくつも成功させるようになると、スターリンの軍部不信も消え、政治委員の督戦も禁止されるようになっていきました。

blu********さん

2010/10/400:13:43

独ソ戦の初期には準備が間に合わず、仕方ないのでろくな装備もないまま戦場に送り出していたようです。
ただし、戦争中盤にはそれらの問題は解決し、終盤では逆にドイツ軍のほうが兵器の不足に悩んだそうです。

rot********さん

2010/10/400:06:55

ソ連兵の場合は実際にあったみたいです。
現地での応召兵に対しては死んだ兵士から
武器をとれという感じで命令してたみたいですね

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