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極真空手時代にケンカ十段といわれた芦原英幸芦原会館館長の実力はどれ位だったの...

kimtake4itoさん

2010/10/2622:26:31

極真空手時代にケンカ十段といわれた芦原英幸芦原会館館長の実力はどれ位だったのでしょうか?

空手バカ一代の中では、空手も飛び抜けて強く、ケンカは極真随一、長谷川一行や盧山初雄がわざわざ四国まで空手を習いに来るほどの実力者ですが実際はどうだったのでしょうか?
大山倍達総裁も少林寺との抗争時に体を張って極真を守ったのは現士道館の添野義三と芦原英幸だと言われるほどに根性もあったと思われるのですが、どうなんでしょうか?

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yuukisingoさん

編集あり2010/10/2721:04:16

芦原先生の組手は「豪放磊落」にして「巧妙精緻」でした。喧嘩は知りませんが、組手の強さは尋常ではありませんでした。相手によっては「力で押しきる」組手もされていました。所謂、剛の組手も柔の組手も自在に操りヒョッコだったわたくしには雲の上の存在ではありました。しかし指導は理路整然としていて多くの先輩がたも瞠目されておられました。長谷川一行師範は絵と図解入りのノートを取り(長谷川師範は絵が上手です)、愛知支部での稽古はそこから長谷川師範が更に工夫を加味したファイルノートから抜粋して教えていた(いる?)との事です。芦原先生が自然に繰り出す右の突きは「目で捉えられなく」強く印象に残っています。突きの速さも当然の事、見えない角度から出す突き技も当時より使っていらっしゃいました。蹴りの起こりも絶妙で、お相手させて戴いた際は極真の蹴りの応用を身を以て体験させて戴きました。又、技術もさることながら当時の細身の身体のどこから出るのかと思うほどのパワーをお持ちでした。後の「捌き」も既に原型があったように思います。残念ながら大山総裁と確執を生み、いつしか極真の組織ともその延長で確執を持ってしまいました。ここには記せない事も多々あります。芦原会館を興して良い意味で極真を凌駕する空手を研鑽されました。先代は極真空手を破る空手が芦原空手だと仰っていました。言わば仮想敵は極真空手の遣い手だった訳です。技術の進歩は凄まじく早く、まさに空手職人と称するに相応しい先生でした。極真時代、ある支部長会議では師たる大山総裁と一触即発のような事もあったと聞いております。「捌き」は有名になり過ぎて今や色々な方が行っていますが芦原先生を超える技術はわたくしは未だ見た事がありません。先代は「実戦!芦原カラテ」のシリーズを3冊お出しになっていますが、その時期には既に10歩も20歩も先の技術を有していたものです。普段は茶目っ気たっぶりのお人柄でしたが、恐い時は鬼神を思わせる迫力がございました。合掌。

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harvardboys1さん

2010/10/2912:31:53

強かったのは事実のようです。しかしいろんな方がいろんな物言いをしますが、どの程度かということになるとこれは難しく、要は芦原氏がどのようなレベルのときにどのようなレベルの方と戦ったかがキーですので何とも言えません。大山兄弟などは、芦原はイキが良かったので可愛がりがいがあったとも言ってますが、これはまだ芦原氏が発展途上のときの話ですし、また添野氏や山崎氏などが賞賛するのは、両名がまだ黒帯になりたてのころの話ですしね。ただ一派一流を起こし、新しい技術も開発したということは普通の人でなかったことは確かです。それと性格的にと言うものがありますが、極真で言えばその手の人は結構多いのが実態です。その理由は、空手一本でやってきたから世間のマナーに疎く、道場の作法や上下関係を外に持ち出したことが要因と思っています。また誇るものが暴力に容易に変化しうる空手技術しかなかったということも言えると思います。ある意味かたわだったのかもしれません。これはプロの格闘家が一番注意を要することですね。道場のそとではただの兄ちゃんかおっさんだと思わなければいけませんね。ところが"俺は極真のXXで強いんだ、だからそれなりに敬意を払え、さもなくば痛めつけるぞ"的な言動になってしまうので注意を要します。

yung_yungjpさん

2010/10/2710:09:46

空手バカ一代に描かれている芦原英幸氏のエピソードご本人のものも多く描かれており、すべて安田英治氏のものという事はないと思います。駅頭で10何人KOしたとか、ひたすらケンカ目的で繁華街を歩いていたとかは創作と思います。安田氏がチンピラ相手にオオトリモノをやったというインタビュー記事は読んだ事あります。

一方で、ちょっとしたいざこざから、警官やチンピラ連中といざこざになり、禁則処分に処され、廃品回収業を行った事。単身四国でも極真空手普及を命じられ、それを成し遂げた事は事実です。梶原一騎氏は安田氏の武勇伝を含め、それを面白おかしく、ある事ない事ドラマチックに脚色したとい事です。

異常なほど強い人物であったのは事実だと思います。こうゆう伝説的な人物の多くは「実際は。。。」という話を聞くものですが、この方の場合は、極真時代の先輩後輩、あるいは門下の方からも、そのような声は聞きません。

ただ、生前もそうですが、没後は高弟の方々が次々と去って行った事実が氏の人間的な何かを物語っていると思います。

2010/10/2708:14:23

まず、空手バカ一代のエピソードは梶原一騎先生の創作であり、ほぼ事実とは違います。
ケンカ十段と呼ばれてたのは芦原英幸ではなく、大山道場の師範代だった安田英治です。
空手バカ一代は安田氏ら他の人物のエピソードを芦原英幸の伝説として紹介してます。

今の選手と比べるのは基準が難しいと思いますが、芦原先生が強かったのは間違いないと思います。
極真から独立して芦原会館を立ち上げた器量はすごいと思います。

正道会館の石井和義氏、空手バカ一代に登場した二宮(二宮博明)などの、昔からの高弟達が離れていったことから、性格的には問題があったと噂を聞いてます。

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