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「背水の陣」とは三国志のころに出来たのですか?

kya********さん

2011/1/2100:20:28

「背水の陣」とは三国志のころに出来たのですか?

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回答数:
4

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ベストアンサーに選ばれた回答

fro********さん

2011/1/2115:51:20

先の回答者さんが述べておられる、
「背水の陣」の故事の由来については、
異議を挟む隙間もありません。

また、ウィキにもあるように、
「尉繚子天官編」にある、
「背水陳爲絶地」(水を背にして陳(陣)すれば絶地(死に場所)となる)
から『背水の陣』と呼ばれることも事実です。

が、この韓信(漢)と陳余(趙)が戦った、
楚漢戦争の井陘の戦い(BC204年10月)の少し前に、
似た陣を敷いた戦いがありました。

楚漢戦争の前、秦討伐の途中BC207年、
「項羽」は、鉅鹿で秦軍(章邯)と戦いますが、
軍が黄河を渡ったあと、
河を渡るために使った船、煮炊きに使う釜など調理道具を全て壊させ、
食料を三日分を残して全て黄河に捨てさせます。(破釜沈舟:はふちんしゅう)
その時項羽の楚軍は7万人、対する章邯の秦軍は50万人と号しましたが、
引くに引けない楚軍の決死の戦いで、
秦軍は総崩れとなり20万人の捕虜を出します。
(その後、その捕虜を生き埋めにするというオチまで付きますが・・・。)
これは「鉅鹿の戦い」という名前で有名な戦いですし、
「破釜沈舟:はふちんしゅう」という故事に名が残りますが、
『兵は死地において初めて生きる『孫子』九地篇)』でいえば、
これも立派な『背水の陣』で、韓信より時期的には早いです。
ご参考までに・・・。

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bag********さん

2011/1/2110:37:23

既に回答が出ていますね。
背水の陣は、劉邦が漢として天下統一する前に、秦を倒して項羽(四面楚歌で勇名だよね)と覇権争いしていた頃の話。
三国志はその400年後、漢の最末期~滅亡後の時期の話。

lan********さん

2011/1/2101:22:25

背水の陣の出典である韓信と項羽の戦いは、三国志の時代からおよそ400年も前です。

どうも中国の(に限らず)古代というと全部一緒くたにして時系列がごちゃごちゃになる人が多いようなんですが、時間的な相対距離感覚は正確に把握しておきましょう。
後漢末期から楚漢戦争を振り返ったときの距離感は、平成人が戦国末期を振り返ったときの距離感とほぼ同じです。

kin********さん

2011/1/2100:33:09

楚漢戦争の時に韓信という武将が使った戦法です。

史記から来る故事ですので漢代ですかねぇ(史実かどうかは・・・?)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%81%AE%E...

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