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毛沢東の息子、毛岸英はなぜ朝鮮戦争で戦地に赴いたんですか? 毛沢東も、普通な...

ffksrakuさん

2011/1/2702:23:36

毛沢東の息子、毛岸英はなぜ朝鮮戦争で戦地に赴いたんですか?
毛沢東も、普通なら大事な息子を近くに置きたがりそうなものですが…
結果的に戦死してしまいましたし。

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ベストアンサーに選ばれた回答

jiitanioさん

2011/1/2709:33:53

毛岸英死後、1951年3月に毛沢東の友人・周世釗が「なぜ息子を戦地に送ったのか」と聞きました。
毛沢東はこう回答したといわれています(意訳です)。

「もしも息子を朝鮮の戦場に送らなかったら、彼は犠牲にならなかっただろう。しかし派兵を主張したのは私自身だ。なぜならこれは祖国を守るための戦争だからだ。私の意見は中央政治局の会議で党中央の賛成を得た。そして朝鮮援助の決定が下された。朝鮮に対する援助は物質的な援助だけではだめだ。金日成同志は緊急電で『中国人民解放軍が直接参戦することを強く望む』と言っている。参戦するには人が要る。では誰を派遣するか。私は党中央の主席だ。幹部が自分の息子を祖国を守る戦争に派遣せず、誰を派遣するというのだ。誰でも息子を想う気持ちは同じだ。私が息子を戦場に送らず、他の人も私を見習って自分の子を参戦させず、他人の子を参戦させるようになったら、私に幹部の資格などない。これが私が息子を派遣した理由の一つだ。もうひとつの理由は、岸英は若く、ソ連留学から帰ってから、農村で労働したこともあるがまだ経験が足らない。人は苦労があってこそ成長する。戦場は息子が成長できる環境だ。だから私は息子を朝鮮に行かせたのだ」

原文;
“当然你说如果我不派他去朝鲜战场上,他就不会牺牲,这是可能的,也是不错的。但是你想一想,我是极主张派兵出国的,因为这是一场保家卫国的战争。我的这个动议,在中央政治局的会上,最后得到了党中央的赞同,作出了抗美援朝的决定……要抗美援朝,我们不只是物资的援助,金日成同志的告急电报是明写的‘急盼中国人民解放军直接出动援助我军作战’,要作战,我要有人,派谁去呢?我作为党中央的主席,作为一个领导人,自己有儿子,不派他去抗美援朝,保家卫国,又派谁的儿子去呢?人心都是肉长的,不管是谁,疼爱儿子的心都是一样。如果我不派我的儿子去,而别人又人人都像我一样,自己有儿子也不派他去上战场,先派别人的儿子去上前线打仗,这还算是什么领导人呢?这是一个方面。另一方面,岸英是个年轻人,他从苏联留学回国后,去农村劳动锻炼过,这是很不够的,一个人最好的成长环境就是艰苦!在战斗中成长要比任何其他环境来得更严更快。基于这些原因,我就派他去朝鲜了。”

参考
http://book.people.com.cn/GB/69399/4881350.html


毛岸英は彭徳懐の通訳として参戦しており、それほど危険なはずはなかったとも言われています。
後に彭徳懐は失脚しますが、毛岸英の戦死も失脚の一因ではないか、という憶測も有ります。

いずれにしても、結婚約1年後に戦死とは、可哀そうなことです。
きれいな奥さんをもらったばかりなのに・・・。
http://www.shcaoan.com/net/Economy/59981.html

質問した人からのコメント

2011/2/2 07:54:54

降参 ありがとうございます!!

ベストアンサー以外の回答

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toeuryantheさん

2011/1/2716:21:03

他のライバル党員たちへのしめしをつける意味で、戦地に赴くのは当然でしょう。
でないと、攻撃材料とされ失脚の原因にもなりかねません。
まあ、安全な部署(司令部要員)だったのですが、予想外に爆撃で戦死してしまった!、というところでしょう。

kei80808080さん

2011/1/2706:30:35

中国は政党独裁の国だが決して世襲はしない。これは共産主義の教えを守っているから。
スターリンも捕虜になった自分の息子を見捨てたし、世襲制度を全否定しているので身内に対して逆に厳しい扱いをするのが共産主義(少しでも贔屓目にすると逆に自分が叩かれる)
そういう観点から見れば、資本主義のほうが身内に甘かったりします。アメリカもオバマに大統領選に敗れたマケイン上院議員も海軍大将の息子だったから捕虜になっても生還できましたし、身分を明かして特別待遇で帰還という事はよくある事です。

cahtte_noirさん

2011/1/2703:04:37

毛岸英母の死後、上海で浮浪児となっていたところを発見され、1936年にモスクワ留学した。1947年にソ連共産党に入党、ロシア語に堪能なために、幹部のロシア語通訳として勤務した。1949年10月に劉松林と結婚する。1950年夏に北京機器総厰の党総支部の副書記に任じられる。朝鮮戦争で彭徳懐元帥のロシア語通訳として従軍中に、アメリカ空軍のナパ-ム弾による爆撃で戦死した

毛沢東の2番目の妻楊開慧(1901年11月6日 - 1930年11月14日)の長男

1939年に毛沢東と江青は正式に結婚した。翌1940年には1人目の娘の李訥が生まれた

普通の人なら大事な息子だったんでしょうけどねぇ

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