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鎖国時代に、長崎の出島だけ外国船入港になったのは、何故ですか?地理的に言えば、...

poc********さん

2011/3/1016:29:28

鎖国時代に、長崎の出島だけ外国船入港になったのは、何故ですか?地理的に言えば、鹿児島の方が便利だと思うのですが。

それと、オランダのみ認めたのは何故ですか?中国や韓国でもいいと思ったのですが。

補足追加です。その頃、外国語の翻訳はどの様にされていたのでしょうか。

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bag********さん

2011/3/1018:01:00

>長崎の出島だけ外国船入港になったのは
逆ですよ。外国船を入稿させるために、出島を作ったんです。
江戸初期は、確かに南蛮貿易が盛んでしたので、南方から来る貿易船は、九州各地に寄港しました。九州の戦国大名たちは外国船の寄港を奨励し、キリシタン大名になったほどです。
で、南から来る外洋ルートは確かに鹿児島が近くて港湾があって良いんですが、そもそも九州は卑弥呼の時代から北部九州が大陸貿易で栄えていたのです。
つまり、今の博多湾を抱える福岡や、瀬戸内海の口に当たる小倉、もっとも対馬(=半島=中国)に近い平戸、そして大陸航路と南蛮航路の双方に都合が良いのが長崎だったのです。
対馬から来る大陸貿易では域から平戸島を回って長崎にいたれば、沿岸航路ですから楽です。
南蛮航路でも五島列島までたどり着けば、後は沿岸航路みたいな門です。
このように、幕府が公益相手とした清国(中国)、朝鮮、オランダ(東南アジアに拠点)の核公益船にとって、ちょうど良い位置なのです。
ゆえに、「外国人立ち入り区域」として出島を作ったのです。

>オランダのみ認めたのは何故ですか?
中国(清国)と朝鮮も、交易kを認めていました。直接来るのは朝鮮使節くらいでしたが。
オランダは、秀吉がキリシタン禁止令を出した後、宗教と貿易を切り分けてお付き合いOKとしたため、日本と交易できました。
当時のヨーロッパの交易ってのは、キリスト教宣教師を切り込み隊にして、貿易と宗教でアジアを植民地にする方法で、勢力を広げていました。
実際、九州征伐の折、九州の領主の中に自領をローマ法王に謙譲している例があったため、秀吉はキリスト教禁止令を出したのです。信徒が勝手に自分の土地を献上してはかなわないわけです。
このため、家康もキリスト教の布教に対しては禁止の方針を採ります。
この時アジアで貿易の主力は、まさにキリスト教を武器に中南米を植民地にしたスペイン、ポルトガル。国教会を独自に抱えこんでいるイギリス、市民社会を形成し(ほかは王国)商業中心で台頭してきたオランダでした。
つまりオランダだけが、宗教に拘束されずに商売をできる環境であったのです。
そこでオランダは日本に対して「ウチはキリスト教関係なく交易します」と申し入れたのです。
コレは、宗教侵略は怖いけど、海外交易は続けたい徳川家にとって願ったりかなったりでした。
そういうわけで、家光の時代に、正式にオランダ以外のヨーロッパとは交易を禁止したのです。

質問した人からのコメント

2011/3/10 20:14:34

ありがとうございます。学校ではこういった裏話が聞けないので残念です。

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boa********さん

2011/3/1016:49:43

鹿児島は駄目でしょ。外様の島津ですよ。国替えするほどの大事件も起こしていません。
オランダは平戸を拠点にしていましたが、ここも外様の松浦領です。長崎に移転させました。
長崎は戦国時代にキリシタン大名の大村氏がイエズス会に寄進し、秀吉が没収して直轄領にした港です。幕府が引き続き天領にしても、困る大名はいません。あとは出島を造成し、商人を出島に軟禁すれば完成です。

ポルトガルやスペインはキリスト教の布教を条件に貿易を受け入れました。キリスト教を撲滅したい幕府としては、布教を条件にしないオランダだけが交易できる国でした。
中国清朝とは古くからの朝貢貿易は続けましたし、朝鮮から訪問してくる通信使は幕府も受け入れてきました。

mek********さん

編集あり2011/3/1017:41:07

長崎の出島の方がばい菌を隔離するのに便利だったということです。帆船しかない時代にわざわざ日本に来たいという国は多くありません。徳川幕府はキリスト教の布教を許さず、出島から一歩も外に出ることも許さなかったし、海外ニュースの報告も義務づけた。そういう煩い条件を全部呑んだのがオランダ商人だけだった。他の国は、こんなけった糞悪い国にもう来ないぞ、あばよと去っていったのです。李氏朝鮮は対馬藩の商船が釜山に入港してくるのだから、それで間に合っています。中国だって琉球王国の商船が広州に入港してくるのだから、それで間に合っています。
【補足】
幕府は日蘭辞書をつくり、オランダ語がわかる通訳も育てました。豊臣政権時代の1600年ウィリアム・アダムス一行を乗せたオランダ船が平戸に入港します。実際に彼らに対応したのは五大老首座の徳川家康でありました。ウィリアム・アダムスはなかなかの教養人で家康の信頼を得て、旗本に取り立てられ日本に骨をうずめることになりました。ウィリアム・アダムスは英語もオランダ語もポルトガル語もスペイン語もどれも話せただろうと思われます。そうでなければ船乗りなど務まらない。であれば、ウィリアム・アダムスが幕府の日蘭辞書作成、通訳教育にも協力したはずなのです。ウィリアム・アダムスは1620年に没したが、彼の残した功績は絶大なものでありました。

qtl********さん

2011/3/1016:33:48

朝鮮や中国との交易も認めていましたよ。
キリスト教国(ヨーロッパ)との交易はオランダのみだったのです。

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