江戸時代にパリには未だ下水道がなかったのに、江戸にはあったと聞きましたが、本当ですか?どの程度のものですか?

補足

私は元禄の頃から記録がある日本人だよ。 朝鮮人は自分で思った悪口を言ってるんじゃないよ。もしも朝鮮の学校教育やマスコミが日本の礼賛をして来たら、同じことを言って言っていただろうという、只の馬鹿なんだよ。朝鮮人は明治の中頃では未だ、日本で言えば、聖徳太子が生きていた飛鳥時代の土人達だったんだよ。今でもそれを引きずってるんだ。そんな人間を”対等に”扱ってるお前さんの方が情けない日本人なんだよ。

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★★★江戸時代の日本を調べてどうする気だ?在日❢★★★ それより、江戸時代に来日したオマエらの祖先の記録を読め。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1359893038 それは日本の大阪、京都、名古屋、江戸まで詳しく書かれているぞ。 だが、それによって、オマエら朝鮮人が日本をどう見ていたか、よくわかるぞ。 二百年以上もたつのに、オマエらは何も変わっていない。 日本人への侮蔑、ひがみ、ねたみ、それがオマエの回答【パー】に如実にあらわてるぜ♪

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それ上水の話じゃないですか? 当時の江戸は世界に冠たる規模と精緻さを誇る上水道持ってましたが、パリにはありません。 で、水買ったりワインやビールをガバガバ飲む文化が出来た、みたいな。 汚濁水の処理のためという近代的な意味の下水道は江戸時代の江戸にもありません。 下水という言葉は江戸期にもあることはあるのですが、意味するところは雨水排水です。 というよりトイレの考え方の違いでしょうが、ヨーロッパはところ構わずいたしたり捨てたりするので、雨水排水がし尿流水路になっちゃうのです。 こりゃいかんということで下水道が作られたわけで。 日本のトイレは汲み取り式であり、流水とは隔離されてました。 溜まったし尿は定期的に汲み取られ、近郊農家の肥料へ回されるというリサイクルが確立していましたから、これが溢れることもありません。 江戸が衛生的な都市だったのはこの部分。 反面、強烈な伝染病に対しては隔離が甘く、幕末のコレラ流行を招いてます。 明治期に入り人口増加と工業化により汚濁物の増加・変質が起こるとリサイクルが一気に崩壊、近代的な意味の下水道という思想自体がなかったことから、整備の遅れの原因になったりしてます。

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建物の周りに浅い堀が掘られ石などで補強されていました通常は石蓋がされてることが多かったようです。 つまり現代とあまり形態は変わらないです。 下水だけでなく上水道も整備され江戸の市街地には地面の下に木製の水道管が張り巡らされて井戸のような貯める施設が在りそれ同士を繋いでいました。 また日本には江戸以前から排泄物を農作業の肥料として利用する習慣があったため汲み取り式で下水にそれらが流れることは無くヨーロッパのように垂れ流しではないのでそういった意味でも清潔な都市でした。 補足について 下水が朝鮮と関係するとは思えませんが・・・・朝鮮にはそうした排水などの利水の概念自体が希薄で李朝末期はそうした意味でも酷い状態だったようなので。 日本の場合例えば地下水を利用した排水や経験則での雨水の排水なども下水に含めるとすれば縄文時代の前期には既に技術的なものは確立していたと考えられます。 これは遺跡を調べた水処理の専門家が言ってることなので私見では在りません。 また現存する下水施設で最古は16世紀の大阪城築城の時に造られた大坂の下水施設です。