マッカーサーについて 大学の授業でマッカーサーについてのビデオを見たときにマッカーサーは日本人の知恵を恐れて弱体化するような制作をしたって言ってたのですが本当

マッカーサーについて 大学の授業でマッカーサーについてのビデオを見たときにマッカーサーは日本人の知恵を恐れて弱体化するような制作をしたって言ってたのですが本当 ですか? あとマッカーサーは日本を助けてくれたのですか?

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日本を理解し愛したマッカーサーは本国の大統領とケンカしてまで日本を助けてくれました。マッカーサー非難論はすべて根拠がありません。調べもしないで軍国主義者・国粋主義者のウソ・デタラメをウィキなどからそのまま引用するのです。 マッカーサーが「弱体化」したのは、日本の軍国主義・侵略主義の体質でした。日本国民自身もその犠牲者だった。その為にマッカーサー元帥を総司令官とした連合国総司令部(GHQ)の数々の施策が日本人に受け入れられたのです。ポツダム宣言の内容は御存知と思いますが、その精神を実行に移すためにマッカーサー主導のもとに色々な政策が取られました。その主なものが: 1.農地解放(不在地主の廃止) 2.婦人参政権(戦前は女性には選挙権はなかった) 3.貴族制度の廃止 4.財閥解体(財閥が軍と組んでアジア侵略を推進した) 5.労働者の地位の向上 6.そして極め付きが新憲法制定 天皇を神とした明治憲法の下で軍部が権力を握って思想統制、言論統制を行い、アジアに向けては侵略主義を促進したのが大日本帝国でした。新憲法を「マッカーサーから押し付けられた」という人がいます。ある意味では当たっている。終戦後、日本政府はGHQの要求で新憲法の草案を作りましたが明治憲法とほとんど変わらず、これでは日本を民主化する事が出来ない、と、GHQ案を日本政府に提示。それを日本政府は二度にわたって国会で審議し、「これでいいじゃないか」と受けいれたのです。マッカーサーに「押しつけ」られなかったら、日本は現在も生き神様の天皇を統治者とする封建的な国で、主権在民など存在せず、経済発展もなかったでしょうね。 終戦当時の日本は食糧事情も劣悪で、餓死者が出始めていた。それを知ったマッカーサーは本国政府に小麦の緊急輸入を要請。拒否されると、占領軍にとって「飢え」ほどの強敵はない、日本人の反乱を抑える為に占領軍を二倍にする事をトルーマン大統領に要求。脅迫ですよ。トルーマンは激怒したそうですが、結局マッカーサーの貫録勝ちでいわゆる「進駐軍のレーション」類が大量に放出され、またアメリカからの食糧支給も実現し、日本人は餓死を免れました。また、南氷洋の捕鯨再開もマッカーサーの直接の指令によるものでした。米軍用の重油の無償給付を受けた戦後初めての捕鯨船団は大量の鯨を捕獲しましたが、日本への帰路、GHQからの指令によりその大部分を学童給食にあてる事になりました。 また、終戦後も北方領土侵略を続けたソ連(ロシア)は北海道も要求、トルーマンに拒否されたあとも上陸作戦を画策、それを知ったマッカーサーは独自の判断で、ソ連占領軍代表のテレヴィヤンコ中将を米軍憲兵隊に拘束させ(乗っていた専用車のスピード違反という言いがかりで)、そして関東に配備する予定だった米空挺師団の一部を北海道へ緊急空輸、米戦闘部隊の存在を確立。それでソ連はやっと諦めました。生粋の軍人としてのマッカーサーの面目躍如たるところです。 マッカーサーに関して一番誤解されているのが「日本人は精神年齢12歳」でしょうね。司馬遼太郎ですら「マッカーサーがののしった様に」などと書いている。自分で調べないのです。真実は1951年5月、米上院軍事外交委員会で演説した時、余り日本を弁護するのでラッセル軍事委員長が「ドイツも民主的なワイマール体制がヒトラーという悪魔にもろくも崩されたではないか」と迫った。しばらく沈黙したマッカーサーは、「欧米の我々がこの分野で45歳の壮年だとすると、日本の真の民主主義は始まったばかりで12歳の少年と言える。見守ってやろう」と言ったのが「12歳」だけが一人歩きしたのです。 若い中尉の頃、日露戦争の観戦武官として派遣されてきた陸軍中将の父と大山元帥や黒木大将、乃木大将に会い、大変感銘を受けた、と。「明治の将軍たちに較べると昭和の軍人は人種が違うと思うほどお粗末だ」とも言ったそうです。 昭和20年9月2日、戦艦「ミズーリ号」艦上で行われた降伏文書調印式の午後、マッカーサーは少数の参謀たちと護衛の部隊も付けないで上陸、鎌倉の鶴岡八幡宮(武神の神宮)に参拝して破魔矢をもらって帰っています。また、アメリカに帰る直前、旧乃木邸に「アメリカはなみずき」を寄付・植樹し、今でも花を咲かせています。 ほかにも色々ありますが、この辺で。 ちなみに、「マッカーサーを叱りつけた男」として白洲次郎が有名ですが、これは真っ赤なウソです。マッカーサーが日本にいた6年間、白洲はマッカーサーには一度も会っていません。当時の記録で明確に証明されています。

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