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出雲と東北はズーズー弁ですが、これは古語の名残でしょうか?

oku********さん

2011/6/1116:14:14

出雲と東北はズーズー弁ですが、これは古語の名残でしょうか?

蝦夷とズーズー弁の分布は見事に一致しています。
かつて日本ではズーズー弁が話されていたところに、瀬戸内を通って畿内に定着した部族(大和朝廷)がズーズー要素を切り分けてしまったのではないでしょうか。

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kot********さん

編集あり2011/6/1613:17:03

ズーズー弁は間違えなく基層語の特徴です。ズーズー弁は東北地方と日本海側に分布していて、出雲には飛び地状になっています。ズーズー弁の基層語を「縄文語」と呼ぶことにしましょう。

縄文語がどのように分布していたかは定かではありませんが、おおよそ出雲から東日本の広い範囲であったと考えられます。しかしながら弥生人が九州から瀬戸内を経て近畿に定着すると、縄文人は一方は出雲に閉じ込められ、一方は東国に追い詰められて、後に蝦夷と呼ばれるようになりました。

現在の方言における中舌母音とエ段音を見てみますと、

東北~東関東と北陸の一部、出雲では、イ段・ウ段の母音は中舌母音[ï]・[ɯ]となり、特にシとス、チとツ、ジ(ヂ)とズ(ヅ)の区別がなくなる現象が、東北地方のほぼ全域・富山県の一部・島根県出雲に分布しています。

これとほぼ重なるように、東北・東関東・北陸・出雲などでは、エ段の音は基本母音のeとなり、共通語の[ɛ ]よりも狭くイ段に近い発音となります。特に母音単独拍でのイとエは、東北・東関東・越後中部・北陸北部・出雲・隠岐などで区別がなく、両者の中間音[e][e˔]などで発音されます。

また日本一の秘境秋山郷方言や出雲ではウとオの混同が見られます。

縄文語の特徴は現在、奥羽方言や出雲方言に強く残っているといえます。中部方言、東山陰方言は縄文語と弥生語(現在の関西方言)との中間で、ズーズー弁ではありませんが、発音方法の根本は縄文語の特徴を受け継いでいるようです。

現在の奥羽方言や出雲方言、秋山郷方言の特徴からその発音を推定してみますと、

・母音体系
現在の裏日本式音韻体系を持つ方言から推定して、縄文語はイとウの中舌母音を持っていたと推定できます。またイとエ、さらにウとオも近かった思われます。現在それがない地域は、弥生語の影響で薄まってしまったのでしょう。

以上から縄文語の母音体系は [a] / [ï] / [ɯ] / [e] / [o] と推定できるでしょうが、 もっと思い切って [a] / [ɨ] / [e] / [o] の4母音体系であったと推定しても良いかもしれません。

中部方言は「う」が[ɯ]ですが、これはかつてこれらの方言が縄文語の系列に所属していたとことを示すと思われます。弥生語(関西方言)の強大な圧力を受けてこれに同化するに当たり、古来の中舌の[ɯ]を後方へ押しやったのですが、[u]にはならなかったと思われるからです。

・歴史
縄文人は出雲を拠点としつつ、徐々に東国にも進出していき、弥生人が畿内に定着したのちは東国に逃れ蝦夷となりました。ではその歴史と方言の関係をを見てみると、古くは日本書紀に行きつきます。日本書紀や出雲国風土記の出雲に関する記述で、イとウの混同、シとスの混同が見られる他、上代東国方言でもイ段とウ段、イとエ、ウとオの混同がみられ、中舌母音を用いていた記録がはっきりと残っています。

万葉集

筑波嶺に雪かも降らる否をかもかなしき児ろが布(にの)乾さるかも (常陸、3351番)

上毛野伊香保の嶺ろに降ろ(ふろ)雪(よき)の行き過ぎかてぬ妹が家のあたり (上毛、3423番)

草枕旅の丸寝の紐絶えば吾が手と付けろこれの針(はる)持し (武蔵の防人の妻、4420番)

縄文語は [a] / [ɨ] / [e] / [o] という4母音体系であり、本来イとウの区別がありませんでしたが、弥生語はイとウの区別があるので、それを発音しようとする際、中舌母音が生じたと思われます。
また[e]を持っていた縄文語話者にすれば、母音単独のイは[ɨ]よりも[e]に近く、エは[e]に対応させるので混同するのだと思われ、東北方言の多くでイがエになってもエがイになることは少ないということに合致します。出雲方言や秋山郷方言のウとオについても同様です。
また、アクセントの母音の広狭かによる制限を受ける地域はズーズー弁と見事に重なり、これも縄文語の影響だと思われます。

東北のズーズー弁が新しいことの根拠として、明治ごろにはイとエやシとスが統合していない地域があるという理由をあげる人がいますが、これはアイヌ語の名残でしょう。東北地方では少なくとも17世紀まではアイヌと縄文人(蝦夷)の子孫が共存し、隣村でも言語が違うという状態でした。
アイヌ語の母音体系はむしろ関西方言に近く、東北のアイヌ人はズーズー弁に同化しようとしていったのですが、母語の発音傾向はなかなか変えられるものではなく、明治時代以降もその傾向が残ったのでしょう。

結論:ズーズー弁は縄文語の特徴であり、その母音体系は [a] / [ɨ] / [e] / [o] であったと推定されます。

質問した人からのコメント

2011/6/18 01:01:14

ありがとうございます。やはり古語の名残だったのですね。縄文時代からの言語だとはロマンを感じます。

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mae********さん

2011/6/1116:40:07

京か奈良で流行った言葉でしょう。その言葉がや発音が地方に伝播します。だから古い言葉ほど辺地に残っているのです。
長いこと文化の発祥地は近畿ですからね。

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