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楠木正成について質問です。 いつ後醍醐天皇から菊水紋を贈られましたか? 挙兵...

rem********さん

2011/7/810:31:55

楠木正成について質問です。
いつ後醍醐天皇から菊水紋を贈られましたか?
挙兵の時ですか?建武の新政の時ですか?
またそういう描写は太平記に描かれてますか?
よろしくお願いします!

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yel********さん

編集あり2011/7/819:19:11

楠木正成は南北朝争乱の時代の南朝の忠臣と知られる人物。
後醍醐天皇が反幕府の動きを知った鎌倉幕府は、京都に大群を送り込んだ。
その為後醍醐天皇は、元弘元年(1331年)8月27日に大和国の笠置寺(かさぎじ)に逃れた。
この時天皇のお召しによって馳せ参じたのが【楠木正成】。
この時彼の本拠の河内国に戻り、天皇のために挙兵することを約束した。

この際に天皇は皇室の御紋章である菊紋を与えた。
ただし正成以後楠木家は、天皇とおなじ菊の紋を持つことは畏れ多いと、菊の上半分に水の流れの図を添えて菊水紋とした。

楠木家は、水神を祀る古社の【建水分神社:たけみくまりじんじゃ】の有力な氏子であった。
その為菊の半分と氏神にちなむ流水ろを合わせた家紋とした。
建水分神社:http://www.takemikumari.com/


信貴山寺(しぎさんじ)に楠木正成の兜と菊水の旗が伝えられていて、その旗には【元弘元年九月十日】の日付が入っている
この旗は正成が笠置山から本拠ちに帰って間もない時期につくられたものとされている。
楠木正成の兜:http://www.town.heguri.nara.jp/manabu/bunkazai/bunkazai04_2.html
大楠公史跡:http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/tokko-sisoul.htm

楠木正成は南北朝争乱の時代の南朝の忠臣と知られる人物。...

質問した人からのコメント

2011/7/14 19:19:54

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2011/7/819:17:17

建武の新政が成ったとき、楠木正成は後醍醐天皇から菊紋の下賜を受けたが、菊紋は畏れ多いとして半分を水に流した「菊水紋」を使用したといわれます。また正成の軍功をたたえ、後醍醐天皇自らが菊花を盃に浮かべ、「菊は千年の後までも薫るとか。お前の名も千年後まで残るように」と下賜したたものともいいます。

ただ、元弘元年(1331)9月3日、楠木正成が笠置山に馳せ参じて後醍醐天皇に拝謁していますが

「太平記」の描くところの、「・・・・正成一人未だ生きてありと聞召され候はば、聖運遂に開かるべしと思食され候へ」(正成一人生きていると聞こし召さるかぎり、ご聖運は必ず開けるお思い下さい」と奏上、この時に左衛門尉の官位と菊紋を下賜されたいいますが、菊紋は畏れ多いので半分だけ頂いて半分は水に流すことにし、「菊水紋」を使用したと伝わっています。

楠木氏は水運業に従事していたり、上の水分社(建水分神社)など「水」との関係が深いことから、川の流れを家紋に用いたのかもしれません。「太平記」に楠木正成が登場するのは笠置山にて後醍醐天皇に拝謁するときです。

ただ「増鏡」には、「ことのはじめより頼み思(おぼ)されたりし楠木兵衛正成」という記述があり、両者は笠置山での対面が初めてではなく、もっと早い段階で後醍醐天皇から倒幕決起の勅命を受けていたと思われます。

いずれにしても楠木正成が「菊紋」をいつ下賜されかははっきりしないものの、「建武の新政」以前の早い時期(2度目の倒幕計画が発覚した時頃)だったかもしれません

風来坊1さん

編集あり2011/7/815:27:48

1331年(元弘元年)9月後醍醐天皇の行在所(笠置)に参内した楠正成が、天皇より「菊水の家紋」を賜ったと云う話もあり嘘か真かは知らないけど、なお、菊は天皇家の家紋、下の水流は正成の故郷、河内の「水分」を表しているそうです。なお、
http://homepage3.nifty.com/aming/dai-nankou-1.htm
http://urano.org/kankou/kasagi/kasagi06.html#godaigo
太平記に菊水紋を賜ったと云う、その様な描写はありません。

met********さん

編集あり2011/7/812:52:14

楠木一族は代々、鎌倉時代から天皇家の年貢輸送などの業務を請負っていたと思われるので、「天皇家御用達の水運業者」という意味で、動乱よりも前から菊水紋を許されていたのだと思います。

koj********さん

2011/7/812:05:57

楠木氏が家紋に菊水を使うことについて、当時の社会で広く容認されていたことは、後年の見聞諸家紋を見てもわかります。何時からかということは、誰も答えられないでしょう。戦乱時に足利軍が菊水の旗で楠木勢と判断していますから、中興の前と考えられます

人に聞かずに自分で太平記を読みましょう。一週間もあれば全部読めるはずです。

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