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なぜ西郷隆盛らは征韓論をとなえたのですか? 新政府は士族(我々)の意見を聞...

uru********さん

2011/8/804:08:06

なぜ西郷隆盛らは征韓論をとなえたのですか?

新政府は士族(我々)の意見を聞いてくれない

この不満を解消させるにはどうすれば・・・

そうだ、朝鮮を開国させよう

なぜこんな流れになったんですか?

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rai********さん

2011/8/809:23:21

江戸時代には、将軍の名前で国書が出されていました。明治になって、天皇の名前で出した国書の受け取りを、朝鮮側が拒否しました。理由は、慣行に外れていることと、天皇の「皇」の文字を問題にしたと言われています。その後、何度も交渉を重ねますがうまく行かず、その結果日本国内で、朝鮮側の姿勢を無礼だとして征韓論が高まります。その急先鋒が板垣退助です。西郷隆盛は、板垣らの急進派を抑え、自らが朝鮮に行って話し合いで解決することを主張します。西郷の主張が通り、閣議でも了承され、明治天皇にも報告されます。正式決定は、洋行中の参議らが帰国した後とされました。やがて、岩倉・大久保らの洋行組が帰国します。岩倉・大久保らは、西郷の朝鮮派遣という仮決定を、謀略で覆してしまいます。西郷派遣は無期延期となり、これに抗議して、西郷は下野してしまいます。新政府に対する旧士族の不満が、国内に渦巻いていたのは事実ですが、その不満を解消するはけ口として朝鮮を開国させたのではありません。西郷らが下野した二年後に、新政府は江華島事件を起こして、朝鮮を開国させています。これに対して、西郷隆盛は「義に悖る」として、厳しく批判しました。西南戦争が起きるのは、朝鮮に不平等条約を押し付けた翌年のことです。この時代の歴史を調べると、国際法に対する違反はないにしても、明治政府の強権的体質は否定できないと思います。

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