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織田信長の楽市楽座はある意味経済政策と言えますか? また、経済学に入りますか?

nno********さん

2011/8/2021:22:27

織田信長の楽市楽座はある意味経済政策と言えますか?
また、経済学に入りますか?

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shi********さん

編集あり2011/8/2718:41:11

信長は特定の限られた市場(都市)にしか楽市令を発布しておらず、経済の中心であった畿内における座商人の解体については積極的ではありませんでした。楽市楽座政策は織田領国全体に均一かつ徹底して行われたわけではないのです。そもそも座商人も座外商人も国境を越えて広域的な商活動を行っていますから、楽市令によって特定の都市での特権が剥奪・制限されたからといって、即ち本所-座商人体制の解体と流通の活性化に繋がるという簡単な話ではありません。よって純粋な経済策として見た場合その効果と影響に関しては限定的なものであったと考えられます。実際織田政権の経済面へ貢献したことを示す具体的な徴証は殆ど無いのです。信長の楽市楽座政策は領国全体の経済より、座商人と織田政権との一対一の関係および楽市令の対象となった市場のローカルな事情に基づいて策定されたと見るべきでしょう。

そのあたりについては楽市令の中身を見てみると良くわかります。
まずは元亀3年に近江金森に下された楽市令の内容を以下に要約してみます。
1)諸役免除と質の取立て禁止
2)中仙道を往来する荷物の金森への強制着荷
3)未納の年貢、借米借銭対する請求権破棄
1)は直接的に市場の経済発展を意図したものといえますが2)については具体的な目的は不明ながら金森の住人以外からすれば経済活動の自由を制限するものでしかありません。

次に楽市令として最も有名な天正5年安土城下に下された楽市令。
1)諸役免除
2)上海道を往来する商人の安土への強制寄宿
3)普請役免除 4)伝馬役免除
5)出火に対する処罰規定 6)罪人を匿った場合の処罰規定
7)盗品売買の処罰規定 8)徳政免除
9)他国からやってきた者の取扱 10)治安と債務取立に関する規定
11)武家の立ち入り制限 12)家並役免除
13)国内における馬の売買を安土城下に限定
大別すると市場内の商人・住人に対する経済的特典と秩序・治安維持に関する規定とに別れています。しかし経済的特典はあくまで城下町内部を対象としたものであって、例えば安土と直接関わりの無い者からすれば2)の強制寄宿などは全くメリットがありませんし、法令適用地域外では座商人は何ら制限を受けません。

つまり二つの楽市令とも経済面でいえば、市場振興と地域内物流の統制以上の目的は与えられていないのです。

よって信長は楽市楽座政策によって座の解体を推し進め流通の円滑化させたという解釈は成り立ちません。一方市場振興策という面はありますので(楽市令の目的は他にも様々あったでしょうが字数制限上省略)、「ある意味」経済政策というニュアンスは間違っていないように思えます。織田政権が安定したのは本願寺と和睦した天正年間半ばの信長晩年期であって、それまでの未熟な政権では利害関係が複雑な商活動を広域で規制する経済政策は実質不可能だったと考えられます。実際永禄12年比較的大きな規模で行われた撰銭令(貨幣統制策)は殆ど効果を挙げていません。

経済学の対象であるか否かについては経済学に疎い人間ゆえ回答を控えさせていただきます。

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ベストアンサー以外の回答

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k1_********さん

2011/8/2516:51:22

当然、経済政策&経済学です。楽市楽座を設け安土城下の街の盛況を図り、商人、庶民たちに税の負担を軽くし消費は伸びるし、流通過程での間接税も撤廃(各地の領主&土豪などが行っていた関所を廃止させる)、城下町は各地から人々が続々集まり繁栄した。信長の凄いところは、その税の収入が減収したのを、富裕層である大阪の堺衆と石山本願寺に、膨大な矢銭(軍事費の名目)で賄った事である。これには石山本願寺は反発し、10年近くに渡る抗争を展開したが、堺衆はあっさりとこの要求を呑んだ。信長が稀代な英雄と言われる所以で、政治学にも経済学にも外交面でも抜群の智謀(器量)を発揮した人物だったようです。

noa********さん

2011/8/2306:17:38

経済学とは、消費者や供給者はどの様に行動し、それがそれぞれの経済主体の行動にどんな影響を与え、全体を見てそれがどの様に経済的に効果をあげるのか?という事を研究する分野だと思います。
ですから当然、楽市楽座も経済学です。あまり固く考える必要はありません。

nds********さん

2011/8/2103:14:11

経済政策です
問題などでは信長が城下町などで行った経済政策をなんという?
と出題されるから

shu********さん

2011/8/2023:40:59

言えますね。自由経済、資本主義を直感的に政治的に進めて岐阜城下は栄えたと。そういう進言をした家臣の名が残ってないのかな…知りたいもんです。

neg********さん

2011/8/2022:25:46

座の独占化を禁止したってことは、現代でいえば、
「任天堂がゲーム会社として、日本に君臨して、
それ以外の企業はやるな、ってことになって、ソニーとかの会社が
つぶれる。
そして、ソニー会社がゲーム会社になりたかったら、
任天堂にはいるしかない。」
こういう状況が座のある時代。楽座になってからは、現代風に
「しかし、楽座になってから、新しく、ソニーが別の会社として建てられた。
その結果、任天堂の業績を超すようになって、今では、
任天堂とは良いライバル、できるだけ、良い製品、高い需要を狙うために、
今度は、内部で、経済政策をすすめる」
結果的には、そういうことじゃないのか?

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