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ブッダが「バラモン教の迷信」を(大々的に)用いた理由は、バラモン教全盛時代。...

ブッダが「バラモン教の迷信」を(大々的に)用いた理由は、バラモン教全盛時代。しかも、2500年前の迷信深い人々を対象に「伝道」を行うための対機説法であった、と愚考する次第ですが、いかがでしょう。

⑴ID
恥ずかしながら、年に一度、和尚さんに棚経に来て頂くだけでほぼ無縁なのですが、(和尚さんと同じと存じますが、)わが家は「日本史上有数の“勉強家”にして“思索家”であった道元さん」の曹洞宗です。
小生、まったく正反対の人間ですので、それでも一応、「最低の道元門下」という趣旨から、「豚 道元」を名乗らせて頂いております。

⑵バラモン教の迷信の否定
下記urlの後半部分をご一考願えましたら幸いですが、「ブッダが(大々的に)用いた“バラモン教の迷信”の意義」を解明するには苦労しました。が、最も困難な「神々」と「悪魔」の意義を増谷文雄が喝破してくれたお陰で、下記のとおり、ほぼ解明できた、気がします。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1069074270
①「死後の世界」を否定した理由
「死後の世界」につきましては、第一に、日本仏教の一派でも言う通り、「地獄・極楽、この世!」と存じます。具体的には、中村元訳・岩波文庫・「ブッダのことば」で指摘する通り、「(この世の)天国」であり、「(この世の)地獄」と存じます。
第二に、文章の前後関係から、「出家者用」ではなく、「在家者用」であった、と愚考しております。と申しますのは、「在家者」は「出家者」とは違い、「老死の恐怖を制圧するす手段」を持っていないので、「死後の世界を否定するのは可哀そう過ぎる」からだ、と愚考する次第です。
②超能力の否定
第三に、ブッダは、下記のとおり、「超能力」を否定した、と存じます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1263752387

⑶「実験」
中村元著・青土社刊・「合理主義」のお陰で、「ブッダが用いた思惟方法」は、フランシス・ベーコンが提唱した「帰納法」であったこと。あわせまして、増谷文雄は「証す」と訳したので確信が持てなかったのですが、「実証」を意味すること、判明した次第です。
なお、昨年の今頃、1月だけ「掲示板」で遊んでいたのですが、日蓮宗の方々は、「実証」というと、もの凄くお分かりのようです。また、これこそ誠に恥ずかしながら、(道元については、中村元と増谷文雄がよく言及しましたので、その範囲でしか存じませんが、)道元もよく使った言葉、とも理解しております。

なお、紙数が圧倒的に不足しておりますので、よろしければ、insightofbuddha@yahoo.co.jp 宛にメールを頂けましたら、幸いです。

補足外道そのもので、裁判を連発せざるを得なくなり余裕を失っています。
何より、和尚様はお忙しそうですので、ご返事はいつでも結構です。
弁護士は金にならない裁判は受けません。万一、裁判が必要になられたら、「民法」は我妻栄共著・勁草書房刊・「民法1~3」で十分です。が、「民事訴訟法」で苦労されると存じますが、大島明著・民事法研究会刊・「書式 民事訴訟の実務」があれば、「誰でも裁判ができる側面」がございます。

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ベストアンサーに選ばれた回答

kahusehuさん

2011/8/2402:26:37

う~む…なるほど、
少し事情が呑み込めました。

最初に(3)実験から回答します。
前後の文脈が分からないので絶対にとは言えませんが、
十中八九、「証す」は証明・実証の証ではないはずです。

これは仏教語の証で修証義・修証一等などの証でしょうね。
一文字なら「さとり」と読みます。つまり悟りのことです。

増谷先生は『正法眼蔵』の訳注もしていらっしゃるような方ですので
曹洞宗型の発想で「悟りがありありと現れている(悟りを現している)」状態を
「証す」と表現していらっしゃるはずです。
http://wiki.livedoor.jp/turatura/lite/d/%bd%a4%be%da%b0%ec%c5%f9

道元禅師もほぼ全てこちらの意味です。

(1)お釈迦さまであっても、道元禅師であっても、
質問者さまであっても、私であっても仏性は同じです。
そんなにご自分を卑下することもないでしょうに…

(2)①第一
死後の世界については無記の教えを奉ずる身のため、
申し訳ありませんが論ずることは控えさせていただきます。

そこを考えるのではなく、
この一息一息を丁寧に生きるのが修であり「証す」ことであり、証です。

(2)①第二
私も大筋は同じように捉えていますが、
「恐怖を制圧」とか「可哀そう過ぎる」というような捉え方には
少なからず違和感を感じます。
それぞれの「生き方に適した心の持ちようについての教え」くらいに
やんわり捉えています。

それに、くどいようですがブッダは死後の世界について
「考えるな」とおっしゃっているのであって
「否定」したというのは言い過ぎだというのが私のスタンスですね。

(2)②
ブッダはウルヴェーラの林での苦行を放棄した際、
「苦行は神通力を得るための修行だが、
神通力では心の平穏は得られない」悟られたと言われます。

これ以降、ブッダは神通力を「目的」にしませんが、
これは決して「否定」ではありません。

もしもブッダが神通力を否定なさったなら、
サーリプッタと並んで十大弟子の中でも特にブッダが認めていた
「神通第一」のモッガラーナを否定することになります。
それはあり得ません。
モッガラーナは事故死しなければ教団の後継ぎになっていたかもしれないほど
ブッダに目を掛けられていたのです。

1つ思い出しましたが、
ブッダは例え文字通りの悪人であっても「否定」しません。
哀れんでいらっしゃったと伝わります。

どんな人であっても、どんな思想であっても受け入れていらっしゃたからこその
慈悲深さではないでしょうか?
それが八万四千の法門とも言われるほどに多様化した
仏教の懐の広さの礎なのではないでしょうか?
そして、「否定」という言葉を使えば使うほど、
ブッダの器を小さくしてしまう気がするのは私だけでしょうか?

それに何より、0か1か…そんな頭の使い方は疲れるでしょう?
裁判はそうせにゃならんのでしょうが、
他の人生ではもうちょっと肩の力抜いて
余白を残しながら考えるほうがおすすめですよ。


紙面についてですが、
1つの『質問』に書き込む主張や質問の数を減らしていただけると助かるのですが…
いちばんすっきりするのはやはり1『質問』につき1質問かと…

裁判の件はお気遣いありがとうございます。

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2011/8/2309:41:23

(2)バラモン教が、だいたい的に当時の釈迦にとって教え不足だったと思います。
バラモン教の説く所では、完全な苦しみからの解脱が難しい。
また、当時のバラモン教やヨガ行者の自分自身を苦しめて、最終的に死に至るような無茶苦茶な苦行を、
自分の命を大切にしないような修行をまず、否定したかったのだと思います。それに付け加えて、自分自身の苦行や実践から 導き出した教えをバラモン教徒やヨガ行者に説いてまわったと考えれます。

①この世、娑婆自体が極楽であり、地獄であるという考えには賛成です。なんとなれば借金地獄や自分の愛する者が目の前に死 んで逝くのはまさに地獄であり、また、戦争で見る、人間が目の前でバラバラになる姿はまさに地獄そのもののです。特に、イスラム 教徒の寺院の中、礼拝中や礼拝が終わって寺院の外で行われる自爆テロは、間違いなく地獄そのものです。

また、高齢者や障害者にとって、快適な生活そのものは極楽界のその理論に等しいと思います。

ただ、死後の世界観がまったくないというのは人間を堕落たらしめ、また、犯罪者は好き勝手に犯罪を行うでしょう。

神や仏、超自然的な人間以外の崇高なものへの怖畏やあこがれ、渇仰の気持ちがなければ人間は精神的に成長しません。 所謂、魂の成長が無いのです。

それは人間社会にとって新しいもの発明や前人未到の境地(スポーツや芸術精神)への到達を促すものに成り得るからです。

もし、それが無く、輪廻が無く、魂の成長がなければ人類の文明や科学の発展を如何にとらえるべきか、疑問が起こります。

なんとなれば生物の進化論だけでは、説けないところがあるからです。
この世の未知なるもの、そういうものに対して興味を起こすことが、新たに未知なる境地へ、人類を到達せしめるものでしょう。

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