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側室制度がなくなったのはいつの時代でしょうか。

eoa********さん

2011/10/2622:45:08

側室制度がなくなったのはいつの時代でしょうか。

側室とは身分の高い人だけに認められていたのでしょうか。

天皇も側室などいたのでしょうか。

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gkt********さん

2011/10/2715:11:28

天皇家は特殊なため、摂関家出身の妃でも皇后に相応しくなければ女御止まりで「側室」です。
正式な側室じゃなくても「お手付き」は問題ないので、妃として入内させるには経済的に困難という時代は女官として天皇の愛人になりました。
女御になるためには大勢の女房を置いたり、色々と大変なので公家にお金がない時代は無理でした。
名門出身で皇子を産んだけど最後まで側室の扱いを受けられず愛人のままだった女性もいます。
天皇家に側室がなくなったのは大正天皇の時代です。
皇后との間に男児が何人も生まれたため男児を産ませるための側室が必要なかったことと、大正天皇の性格でしょう。
女好きならいくらでも側室を置ける立場だったのにそれをしなかったので。
明治天皇は皇后に子供がなく、成人した男児は大正天皇ひとりきりで女児が多かったため側室を大勢置きました。
昭和天皇も女児が続いたため、周囲が側室候補の女性を用意したそうです。
ですが直後に今上が誕生したため正式に側室として迎えることはありませんでした。
大名家の側室は「正室になれない身分の女性」です。
側室を大勢置いた大名もいますが、徳川吉宗のように正室を結婚後すぐに亡くして側室しかいない人でも相手が正室になれる身分でなければ側室です。
正室になるためには公家や大名の姫という身分が必要なため、家臣や庶民の娘は唯一の妻であっても側室で正室にはなれません。
庶民の側室はいわゆる「妾」です。
日本はキリスト教国ではないため、妾を置くことは自由です。
平安時代は通い婚なので、男は妾を置くというより生活のために複数の女のもとへ通いました。
当時は女が生活費を出すため、最初の妻で満足できなかったら他の金持ちの娘と結婚するのは普通です。
正妻が誰かに決まったら他は自動的に側室ですが、もともと一夫多妻なので現代の「妾」という考えとはだいぶ違います。
最初の妻が夫の生活の面倒をもっとも支えて経済的負担が大きいため新しい妻に嫌がらせする権利がありましたが(自分が用意した服と牛車で新しい女の家へ通うため)、子供の立場などは父親によって変わります。
平等に扱った人もいれば、妾の子を差別した人もいたでしょう。
東国は通い婚の慣習がなかったため妾を置くことはあまりありません。
源頼朝の妾の存在を知って政子が怒りましたが、彼女は東国育ちなので北条家にやっかいになりながら当然のように他の女のもとへ通う夫を理解できなかったんです。
時代というより地域によって差がありました。

質問した人からのコメント

2011/10/27 22:16:23

感謝 ありがとうございました。

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ume********さん

2011/10/2623:54:47

明治の初期までは妾も戸籍に堂々と記載されていました。
しかし、明治半ばの改正で公式には無くなったようです。

his********さん

2011/10/2622:54:30

側室=お妾さんでよいですね。
戦前の民法では、お妾さんは2親等として法的に認められていました。
法的に認められなくなったのは戦後の民法からです。

天皇家も側室はありました。
明治天皇などはかなりいらっしゃったようで、大正天皇も皇后様からお生まれになってはおりません。

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