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仙石久秀てどうなんすかね オレん中では 十河存保・長祖我部信親を死に至らしめ逃...

kou********さん

2011/11/419:05:43

仙石久秀てどうなんすかね
オレん中では 十河存保・長祖我部信親を死に至らしめ逃げ帰った戦国屈指のアホっつう評価ですが

後半生じゃ豊臣恩顧の中じゃ真っ先に親徳川になり見事大名返り咲きしてますよね ↑のことは失敗は失敗としてそれを教訓にリベンジを果たしたと評価してあげるべきなんすかね?

そういや 小田原参じんのとき 似たような経歴の奴が処分されてる中なぜか仙石だけ復帰が認められてんのも 何がしかのものがあったからと見るべきですか?

長宗我部びいきとしてはどうしてもコイツだけは許せんのですが

補足いや皆さんお詳しいですな なんやかんや言ってオレは仙石秀久タイプのような気がしてきた(笑)九州攻めを真摯に反省したのか 単なるネズミ男なのかで評価は変わりますよね

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sem********さん

編集あり2011/11/421:37:21

まぁ

一般的に「有能な武将」には入らないのでは?

ただ
「戦国屈指のアホ」とは思いません

少なくとも「四国勢」を率いて九州へと進撃する
際の「総大将」としては不向きな人材であり
それを見抜けなかった「秀吉の落ち度」だとは
思うんですよ…

すくなくとも
「総大将」の資質を考えて人選するのは
(当時は)秀吉の責務であり
失敗の原因を”自分が任命した人材”に押し付けて
(後に自分が挽回するからと言って)自分の責任は
無いとでもいうような態度は感心しません

後の彼に対する徳川の評価が
実は一番公正な気はします

小田原に関しては
彼だけ「他の追従を許さないほどの武功」を上げてから
秀吉に許しを請うています
(ほかの手合いは、ただ許しを請うただけ)

とりあえず
徳川が非常に高く評価していた「諜報・調略」や
数千程度の兵を率いる先陣には力を発揮したが

数万になると掌握しきれないという彼の限界を
見抜けなかった秀吉の失敗が
そのまま四国勢に災厄として起きてしまったのでは
ないでしょうか?

秀吉はその後
三成の限界も見抜けずに小田原で似たような失策
を繰り返します

信長にしろ、家康にしろ
どれほど貢献した家臣であっても「冷徹に能力を見て」
適材適所を徹底していました

秀吉にはそういう「冷徹な目」が無かったのでしょう
(逆に人間臭い魅力なのでしょうが…)

九州討伐も
大将:羽柴秀長
副将:小寺官兵衛(黒田官兵衛)
先鋒:仙石秀久
その他:四国勢
なら
それなりにうまくいったと思いますよ?

補足を見て~

取り入るだけが能の男とは思いません

少なくとも実際に武功を上げている人物ですし
秀忠に付いて上田城攻防戦に参加した際は
「自分を人質にして秀忠様は軍を進ませよ」
と進言しています
(秀忠に却下されていますが…)

生半可な覚悟で言えることではないでしょう

それに
”あの”籐堂高虎”と比較しても
「石高は低いが、扱いは圧倒的に上」という
待遇を得ています
(徳川家から)

「極めて特殊な才能を持った人物」であったのは
間違いないでしょう

その子孫たちも
「国替えで(徳川から見て)敵地に違い関西方面
へと移動」しているところを見ると
服部家・柳生家・藤堂家・仙石家は一定の役割を
持った家柄だったという推測も成り立ちます
(真田家は最後まで”前線”に配置されるような
事は無かった)

徳川家は案外「仙石家を買っていた」のかも
しれませんよ?

質問した人からのコメント

2011/11/8 10:07:31

降参 ありがとうございます

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ume********さん

2011/11/420:26:45

仙石秀久ね。嫌いなのわかるけど、名前はちゃんと書きましょう。

かなり不思議と言えば不思議な人物ではあります。

・お家は自称源氏の末裔。

稲葉山城陥落の後は、信長に見言い出され後の合戦で
信長の印・永楽銭の旗を授かる。(名誉な事です)

・羽柴秀吉の寄騎衆の出世頭。

・例の失脚の後に徳川家康の仲裁で、小田原に復帰。

・徳川秀忠の関ヶ原遅参には、仙石が謝罪に務めたため、重罪に課せられる事はなかった。

・外様の割に、信州小諸とわりと江戸に近い領地を賜り、
江戸に入る際には常に板橋に迎えが来ていた。

とまあ、何故か3英傑に認められている稀有な武将の一人で、
もしかしたら山内一豊以上の、世渡り上手なのかも。

長宗我部ファンからしたら、憎いのはしょうがないにしても
秀吉・家康からしたら、手強い家系の血を根絶やしにした、ありがたい武将という見方もアリかも。

hid********さん

2011/11/420:19:55

仙石氏、自身、秀吉が織田家の家臣として淡路攻略に従事していた際、淡路国の侵略を任されている様ですので、ある程度、戦場では使える武将であったと思われます。

ただ、仙石秀久は独りで動く分にはいいのですが、大将格として下に他の武将達を従え、指揮権を振るうに適した武将でなかった事は確かでしょう。人を率いるという事は人の特質を把握し、その情勢を分析し、適材適所に人を用いることが大切です。

仙石氏の場合はそういう黒子的な活動というより、秀久自身が目立ちたいという思いがとても強い武将の様に感じます。故に長宗我部氏の嫡男や十河氏を戦死させ、自分はあろうことか逃亡をはかっています。最低というべき武将であると私自身も感じます。

仙石氏は権力者に対し、取り入る事が巧い人間だったのでしょうね。ご機嫌取り武将=仙石氏の真骨頂が大名に帰り咲いた出来事でしょう。小諸5万石の大名として。仙石氏は自分に都合の良き空気を読む達人だったのではないでしょうか。達人という表現は一種の皮肉ですがね。

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