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地獄と念仏と唱題にについて。 . .

yak********さん

2011/12/1818:07:49

地獄と念仏と唱題にについて。

.
.

―――――――――――――――――――
. 私はあなたを軽んじません。 . . . . 八(^□^*)
. あなたたちは仏道を行じて,
. 必ず佛となるからです。
―――――――――――――――――――

地獄が実在するかどうか,それは私は知りません。

経に書いてあっても,他人からの伝言ゲームに過ぎません。

でも,法然聖人も親鸞聖人も凡夫です。


もし念仏することによって,地獄に堕ちることが

あるのなら,どうしますか。どう考えますか。


一切の生きとし生けるものは,幸福であれ,安穏であれ,安楽であれ!
Sukhinoo vaa kheeminoo hoontu, sabbee sattaa bhavantu sukhita'ttaa.

補足. . . . . . . .

生きとし生けるもの,地獄,法華経,念仏,法然聖人,親鸞聖人,唱題

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ベストアンサーに選ばれた回答

huu********さん

2011/12/2121:36:59

祈り方は人それぞれでしょう。でもどなたに確信がありますか?
”””””””””””””””””””””””””””””

1 罪を犯さざるを得ない私たち

私たちは,毎日罪を犯しています。生き物を殺し,他の人の心を傷つけ,そもそも自分の存在自体が他の一切衆生の安楽を犯しています。えっ、殺した覚えがないですって?踏みつぶしたり,目や口に入った虫などを払ったりし,菜食主義者であれ,命をいただいています。


2 祈る意味

神佛を拝する姿には,懺悔・定心・随喜・感謝・決意があると思います。しかし,要求を出すような祈願はいけませんね。人間の命令を神佛が受けるのですか?これじゃ神佛と私たちの立場が逆になってしまいます。「お客様は神様です」じゃなくて「願いを叶えてくれる神様がよいお店」になってしまいます。


3 親鸞大聖人と日蓮大聖人の接点

直接には会うことはありませんでしたが,日蓮大聖人は親鸞大聖人の晩年,「念仏無間」を言い出し,確認のために関東の人々が親鸞大聖人へ見解を問いただした経緯があるようです。それが『歎異抄第二章』です。


4 『歎異抄第二章』から

「念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべるらん、また地獄に堕つる業にてやはんべるらん、総じてもって存知せざるなり」。
(念仏は極楽往くたねか、念仏は地獄へ往くたねか、今さらこの親鸞に、言わせるおつもりか。まったくもって親鸞の知るところではない)。

「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」。
(だが、微塵の善もできない親鸞は、地獄のほかに行き場がないのである)。

ここで思い出していただきたいところが,「1 罪を犯さざるを得ない私たち」です。『無量寿経』しろ,『法華経』にしろ,出所は釈尊か,あるいは不明であるから,地獄行きの可能性が高いのです。反対に言えば,どちらに行くかは,佛に【お任せする以外ない】のです。『無量義経』が後世において完成した以上,文証は当てにならないのです。


5 自己判断で(ここも『歎異抄第二章』)

「詮ずるところ、愚身が信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御計らいなり、と云々」。
(いくら言っても親鸞の信心、このほか何もござらぬ。この上は念仏を捨てようと、親鸞に同心して、念仏を信じたてまつろうとも、おのおのがたの、勝手になさるがよかろう、と聖人は仰せになりました)。

執着のない考え方ですね。


6 双方に似たところがあります。

「正定の因は唯信心なり(親鸞聖人「正信偈」)」
『法華経』には「以心得入」

『法華三部経』にも,『法華経』を読みながらも,地獄に堕ちることが書いてあります。

「乃至失命し設い地獄に堕ちて無量の苦を受くとも、終に諸仏の正法を毀謗せじ」。


ですから,根本は信心であり,その信心も妄信でなく,

諸悪莫作
衆善奉行
自浄其意
是諸仏教

となる清らかな心だと思います。


私自身の勝手な推測ですが,日蓮聖人は人々が『平生業成』を知らず,浄土ばかり強調している,と思ってあんな言葉を言ったのだと思います。質素で潔癖であり,一通り修行なされたのですから。

「一大事とは,今日ただいまのことなり(正受老人)」。


「あめつちの不思議は,今私の前に現れました」。お幸せに。

祈り方は人それぞれでしょう。でもどなたに確信がありますか?...

質問した人からのコメント

2011/12/23 22:31:24

降参 『歎異抄第二章』にあったのですか

ベストアンサー以外の回答

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dum********さん

2011/12/1912:43:14

仏の説かれた教えには優劣はありません。全てが正法であり、これが善くてこれが善くないなどという教えは存在しないのです。それを難癖付けて、自分たちが信奉しているこの教えだけが素晴らしく、他の教えは地獄に堕ちるなど、冷静に考えれば、あり得ない僻事であることは理解できるはずですが、盲信の末、何が仏説で何が正法であるかも判らなくなると、誹謗正法を繰り返している事にすら気付かなくなるのでしょう。

さて、仏説無量寿経ほか沢山の経典の中で末法の世になると衆生の機根が劣って来る事が説かれています。その為、難解な修行を行い難くなる。しかし、念仏の様に易行を修する事で輪廻を離れ、佛国土へと生まれる事が出来る。これこそが仏の慈悲心というものです。全ての生としいける衆生を救わんと願っているのが仏様の御心です。

仏が衆生を救わんと立てた本願『念仏往生之願』によって地獄へと堕ちる等という誹謗を行えば、むしろ御仏の慈悲から漏れる結果となるでしょう。仏を誹謗する教えなど、仏説ではあり得ません。盲信による妄念を解き、全ての経論に対して正しく向き合うべきでしょう。

色眼鏡を通して見てもあるがままには目に映りません。まず、あなたのその色眼鏡を外してみる事ですね。

「謗法暴言」などを許す教えなど、釈尊一代の教えの中には存在しないのですから、それを推進しているものが居るとすれば、それは仏教ではない事の証左です。

全ての衆生に御仏の救いがあらん事を

南無阿弥陀佛

dnx********さん

2011/12/1819:27:47

この主張はこれまた凡夫の日蓮さんです。

私は凡夫の論より、佛(釈尊)の佛説を信じます。

念佛して地獄に堕ちる原因は、三心(至誠心・深心・廻向発願心)を具足せず、欠けたる人なり。

善導大師も法然上人も、そのように仰せであります。

三心の欠けた人の念佛は、往生できないのですョ^^

ceq********さん

2011/12/1818:40:58

日蓮大聖人は、末法の御本仏です。
その御本仏様が法華経に照らして、法華経を誹謗している念仏は、地獄へいくしかないとおっしゃているのです。

法然は、悪僧であるとはっきりおっしゃっています。

ket********さん

2011/12/1818:38:53

念仏を唱えて死後地獄に落ちるかどうかは、死んだ経験が無いので判りません。が、自分の心の持ち方一つで生きているときに心の持ち方一つで地獄にたたき込まれることは経験上良く判りました。ですから念仏を唱えることで心が安らげば阿弥陀仏の誓願通り生きて極楽にいる境地にも行けるのではないでしょうか。

iri********さん

2011/12/1818:15:52

地獄へ堕ちていくしかない
僕の姿を見つめていて

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