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NHK「坂の上の雲」で軍人達が杯を床にたたきつけて割るシーンがありました。状...

kfc********さん

2011/12/1820:20:19

NHK「坂の上の雲」で軍人達が杯を床にたたきつけて割るシーンがありました。状況から『死を覚悟して戦う』というような意味があるのかと思いましたが、そうですか? そういう風習のようなものは、日本には昔からあったのでしょうか。お願いします。

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rev********さん

編集あり2011/12/1909:29:05

別杯とは、別れを惜しんで飲む酒のことですから、違います。

正しくは、戦国時代からの風習。出陣する時に杯を手に持ち、みんなで高く掲げ、それを飲んで、杯をたたき割る! そしていざ出陣!


下が、起源らしい。


大永元年(1521年)九月一日、福島正成は二万の大軍を率い、富士川沿いに河内路を北上し始めた。
穴山氏がこれを先導する。一方小山田氏は北条家を抑えるとして協力しなかった。

十六日、信虎に破れ降っていた大井氏が降伏。再び大井氏は今川につくことになる。
月末、西郡(富士川西岸)の河内路から東郡(笛吹川東岸)の甲駿往還までの盆地南部で、多くの国人が帰順。

河内路と甲駿往還に挟まれた山岳地域を九一色と呼ぶ。ここには九一色衆呼ばれる辺境武士団が存在した。
九一色衆は古くから九一色十家と呼ばれる土豪らがとりまとめていたが、このとき十家は去就が割れた。

さて、ここからが逸話。
この十家のうち、上九一色の河埜、渡邉、土橋の三家は武田に付くことにした。

彼らは未だ盆地南部で頑張る諸城への補給や、敵の補給路の遮断などに活躍した。
しかし他家に手引きされた今川勢が甲駿往還からもやってくると、敗色濃厚となった。

三家の当主は上九一色の砦で宴を張った。別れの杯である。
土橋左衛門がふと言った。
「館が落とされ自分も討ち死にした後、この杯で祝杯を挙げられるのは腹立つじゃんな」
渡邉、河埜らもなるほど腹が立つと思い、三家中であるだけの酒器をみな打ち壊した。

ところが彼らが必死の抵抗を重ねるうち、主君・信虎は、上条河原合戦で今川軍本隊に壊滅的打撃を与えることに成功。

今川方に付いた家は領地を召し上げられ、多額の褒賞と共に三家に与えられた。

これ以来、九一色衆は戦の前に杯を酌み交わした後、酒器を割る風習が発生した。

質問した人からのコメント

2011/12/21 21:49:22

ありがとうございました!

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zan********さん

2011/12/1823:06:56

原作では「このような場合はカワラケを叩き割るから」と慌てて杯を集める司令部付の兵隊を、軍曹あたりがからかう場面があったような。

max********さん

2011/12/1821:10:08

はい、昔から有りますよ。
別杯と言って二度とこの杯で酒を飲まないと言う事を表すのです。

あわせて知りたい

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