ここから本文です

新撰組の近藤勇は、少しの間ですが夢を見れたのですか?

dyw********さん

2012/1/1318:59:44

新撰組の近藤勇は、少しの間ですが夢を見れたのですか?

甲府の殿様にしてやると言われて、少しの間ですが夢を見ることができたのでしょうか?
いきなり殿様ですから、凄い出世ですよね。
甲斐を新政府軍から守りきれば、100万石の殿様にしてやると言われて、その気になっていたのでしょうか?

閲覧数:
261
回答数:
6

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

yas********さん

編集あり2012/1/1912:01:54

新選組が甲府へ行ったのは、勤番侍と百姓の鎮撫のためで、『越前藩幕末維新公用日記』には「大久保一翁殿(註、会計総裁)指図にて云々」と書かれている。したがって、勝海舟に江戸を追い払われた、あるいは甲府城を押さえて徳川慶喜を迎え、東山道軍と一戦交えるつもりだったというのは、とんだ薮睨みです。

それに、近藤勇は甲府行きに祭し、それまでの伝・見廻組与頭格から御勘定組頭格へ役替えになったことに伴って大久保剛と改名し、さらにその後、諸大夫成(従五位下へ叙爵すること)したからか大久保大和(守)と名改めをしていますが、いくらなんでも若年寄となると陸軍総裁である勝海舟と同等もしくは上位となるので、これはあり得ないでしょう。

最後に、近藤勇は武士にあこがれ一旗挙げるために京へ上ったのではありません。草莽として公武の融和を計り、尊皇攘夷の魁となる、これが京に上ったそもそもの目的であるわけです(近藤は、身はあくまで幕府に置いているが、京都市中の見廻りはあくまでも仮の措置と承知しているので、幕府に攘夷をする気がないのであれば、新選組に解散を命じてほしいという上書を提出している)。

したがって、出世したことについて何かしらの感慨はあったでしょうけれども、「夢を見れた」などとは思わなかったのではないですか。


【補足】

甲府からの帰還後、近藤勇は新選組残党を率いて下総流山に陣を張りますが、これは松戸あたりで跋扈する脱走兵の取り締まりもしくは、江戸の無血開城が失敗したさいにゲリラ戦をやるため。いずれにしても、こちらには勝海舟が大きくかかわっている。だから、流山において近藤が東山道総督府軍に投降したさい、土方歳三がわざわざ勝を訪ねてその顛末を伝えているのではないかと思います。

そして、大久保剛から大久保大和(守)と名前を変えたのが諸大夫成したからだったとしたら、これは勝との取引だった。

ただし、近藤は甲府において、自身がはじめて負け戦を経験しており、それがトラウマになっていた。これが、流山で東山道総督府軍に投降した最大の原因だったのではないかと思います。もちろん、土方以下を落ち延びさせることをも含めた・・・

以上、想像ですが・・・



【さらに追記】

清河八郎の浪士組本体と分かれた近藤らが会津藩の預かりとなって京へ留まったのは、将軍が江戸へ帰ってもすぐに攘夷が出来ないかも知れない。さらに攘夷が延期となれば、親長州派の浪士が大騒ぎをするだろうから、それを取り締まるというのがそもそもの理由。攘夷と決まれば、速やかに東下しその魁となると、郷里へつたえています。

だから、禄をもって召抱えるという幕府の申し出を、近藤は一、二度断っている。

しかし、そうこうしているうちに池田屋事件が起こり、結果、幕府の爪牙として働くようなことになってしまったわけです。

このQ&Aで解決しましたか?質問する

閉じる

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/5件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

2012/1/1402:23:20

夢を見てましたね、
けど実際は 本人が思う方向と違う方向に行ってしまったのじゃないかな?と思います。


それが新撰組の最期じゃないかな…

近藤さんは外見はいかついけど
温厚な人だったようですし、
人は誰でもそんな立場にたてば少しは浮かれますしね。

hag********さん

2012/1/1320:09:51

永倉新八の顛末記の話はフィクションが多いんですよ。新聞の読み物ですからね。
永倉の手記と言えるのは浪士文久報国記事で、甲府出兵は近藤勇が願い出て、許可された形になっています。軍資金の五千両の内、三千両は松本良順が出しているのも金銀出入帳から分かっています。
恭順を決めた徳川にとって進撃はマイナスにしかなりません。
「甲府をやるから行って来い」というのはあり得ない事だと思いますよ。
大阪城において主戦派の家臣を抑え切れず、慶喜は交戦の意思表示をして逃げました。
近藤の場合も同じだったと思います。
徳川方では主戦派を抑えきれず、勝手にしろという事だったのでしょう。
徳川方では鳥羽、伏見の戦い以降に官軍と戦った者は「徳川を脱走した者」としています。

さん

2012/1/1319:31:14

結構な夢を見ていたと思いますよ。
浪人組から京都守護職直轄の新撰組。
夢も夢、正夢でした。
今度は甲府百万石の大大名。
この夢に酔ってみるのも「男子の本懐」でしょう。

chi********さん

編集あり2012/1/1319:21:19

夢を見過ぎてしまいましたねえ。

勝海舟から甲府を押さえるよう命じられて、江戸から甲府に向かうのですが、その道中に近藤勇の故郷があるので、行軍中にもかかわらず大名旅行のように振舞い夢の時間を過ごしました。故郷の皆にワイワイ騒がれながらの進軍ですので、夢を見ている間に、新政府軍に甲府を押さえられ、辿り着いたころにには、時すでに遅しということで、どうしようもなかったのです。残念でした。

夢を見過ぎて、夢かなわずってとこですね。

hk8********さん

2012/1/1319:19:02

若年寄格:大久保大和と名乗って、
少しだけ夢を見て投降したのでしょう。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる