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質問です。

いぬなきやまさん

2012/1/2108:44:30

質問です。

江戸時代、長崎の諫早地方を領していた諫早家は当初、徳川将軍家から二万石の大名として認められましたが、参勤交代の重圧から逃れるために佐賀藩主に臣従し国老として待遇されました。その後、佐賀藩は諫早家の領地を削減し、最終的に八千石の領地になったようです。この諫早家は戦国時代に肥前地方で勢いをふるっていた龍造寺家の直系の子孫だと言う話を聞いた事があるのですが、ほんとうなのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

oos********さん

2012/1/2109:46:40

諫早家は佐賀藩では親類同格とされた龍造寺四家の一つです。
諫早鍋島家(諫早家)龍造寺家晴の子・直孝の代から地名の諫早を苗字にしました。
血筋は
龍造寺家兼→龍造寺家門→龍造寺鑑兼→龍造寺家晴→諫早直孝
嫡流は
龍造寺家兼→龍造寺家純→龍造寺周家→龍造寺隆信

その他の龍造寺四家
須古鍋島家は龍造寺家兼→龍造寺家純→龍造寺周家→龍造寺信周→鍋島信明(龍造寺から鍋島に改姓)

多久鍋島家(多久家)は龍造寺家兼→龍造寺家純→龍造寺周家→龍造寺長信→多久安順

武雄鍋島家は龍造寺隆信→後藤家信(後藤家に養子)→鍋島茂綱(鍋島姓を下賜されるまでは、龍造寺、後藤、武雄の名字を名乗っていた時期があるそうです。)

質問した人からのコメント

2012/1/27 13:34:28

抱きしめる 詳しい回答ありがとうございます

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