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大江山生野の道で「丹後へ遣はしける人は参りたりや。いかに心もとなくおぼすらん...

ten********さん

2012/2/2921:43:33

大江山生野の道で「丹後へ遣はしける人は参りたりや。いかに心もとなくおぼすらん。」とありますが、これは定頼中納言がどんな気持ちか言ったのですか?

また、この話は説話集の一つらしいですけど、その説話集について詳しく教えていただけたらうれしいです。

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koj********さん

編集あり2012/3/307:13:32

「丹後へ遣はしける人は参りたりや。いかに心もとなくおぼすらん。」
と、からかわれた小式部内侍の母は、かの有名な和泉式部です。
その当時、世間では、小式部の歌が優れているのは、母である和泉式部が代作しているからではないかという噂があったのです。

母である和泉式部が夫保昌とともに丹後国へ赴いていた時に、小式部が歌合に召されました。
母代作の疑いのある小式部一人では、歌合という晴れの舞台で、小式部内侍は、母のような歌は詠めないだろうから、使者を送って助けを請うたのではないかという気持ちが、
「丹後へ遣はしける人は参りたりや。いかに心もとなくおぼすらん。」
(丹後に人はおやりになったでしょうか?文を持った使者は帰ってきませんか?どれほど待ち遠しく思っていらっしゃるでしょうか?)
となったのです。

それに対して小式部は、
【大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立】
と即興的に詠んだのです。
歌意は、
大江山を越え、生野を通って行く丹後への道のりは遠いので、まだ天橋立の地を踏んだこともなく、母からの便りも見ていません。

「大江山」・「天橋立」は母が出かけている丹後国の歌枕。
「ふみ」は「踏み」と「文」との掛詞。
行ったこともなければ、母とのやりとりもないことを強調しています。
「踏み」は「橋」の縁語。

この小式部の才気に、からかった定頼中納言は、歌を詠みかけられたら即座に歌を返すのが作法であるにも関わらず、為すすべもなく袖を引き払って逃げた、と記されています。

この話はが収められている説話集は『十訓抄』と言います。
成立は鎌倉時代(1252年)。菅原為長編、六波羅二臈左衛門入道編などの説があるが未詳です。
『十訓抄』は世俗的説話集とも言われ、それ以前に成立している史書や物語から教訓的な説話を282話を集めて、10編に分類したものです。
このことから『十訓抄』と名付けられました。

同様の話は『古今著聞集』にも収められています。
成立は鎌倉時代(1254年)。編者は橘成季と言われています。
20巻約700話から成り、説話が百科事典的に羅列されています。

質問した人からのコメント

2012/3/3 17:37:23

成功 こんなにもわかりやすく、説明できるあなたがうらやましいです。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

tkg********さん

2012/2/2922:17:34

この歌を詠んだ小式部内侍の母は、女流歌人として有名な和泉式部だが、彼女は当時、丹後に行っており、京にいなかった。
そんな時、娘の内侍が歌合せの歌人として選ばれたため、彼女の実力をみくびった定頼が、母親に歌を作ってくれるよう丹後に人を遣わしたであろう、使いは帰って来たか、さあもう歌はできたか、などと作者をからかったのに対して、その場で答えた当意即妙の歌。定頼はあまりのことに仰天して、返歌も叶わず、そこから逃げ帰ったと言われている。
歌の意味は「大江山を越え、生野を取っていくその道のりが遠いので、まだあの名勝の天橋立は踏んでみたこともありません。もちろん母からの文もみていません」

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