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楠板戒壇大御本尊は写真が三枚外部に流出しており、写真解析をおこなった「犀角独...

hirotta mekenekoさん

2012/5/610:24:32

楠板戒壇大御本尊は写真が三枚外部に流出しており、写真解析をおこなった「犀角独歩」氏によると、弘安三年日蓮図顕の「日禅授与の本尊」に酷似しており、日蓮正宗側からの抗議により曼荼羅全体は完全に一致しないこ

とから、「南無妙法蓮華経」の題目の一字一字を別々に重ね合わせた結果、題目の字はおろか日蓮の花押まで、一字一字転写して造ったパッチワーク本尊であることが判明している。(所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について)

また、お墨付きである『日興跡条条事』は大石寺に正本と草稿があるが、正本には(譲り条)であるにも拘わらず月日のみの記載、年次年号は記載されていない、後世の改竄文書であることは大石寺59代堀日亨も認知(『日蓮宗宗学全書』2-134とあります。

信者は信じて疑わないのですから認めるわけもありません、それでいいと思います。何も偽物は
楠板戒壇本尊だけでなく世間には多くあることですから、しかし傍から見れば、申し訳ないが。興味が湧きます。贋作であることは間違いありませんね。

補足参詣の延べ人数では、保田妙本寺は大石寺に勝つことはできませんね、団体列車に専用ホーム、送迎のバス会社まであったとか、参詣人数は真筆の証明より強い、数は物言いますね。

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can********さん

2012/5/809:50:42

私は信徒です。 写真も見ました。しかし、客観的に見てもあの写真だけでは偽物と断定するのは不可能だと言うのが私の意見です。

さらに、曼荼羅を誰が板に書写したかに関わらず、第三者が彫刻した可能性が高い木彫りの本尊を鑑定してもわかるのは材質と年代とどのような工具でどのように字が彫られているかくらいだと思います。

板に彫刻された文字を見て筆で紙に書写したものかどうかわかるとは思えないのです。 現代の写真技術を使っての彫刻なら話しは別ですが鎌倉時代ですし、字が堀下がる形で彫られているのでしょうから、筆さばきでさえ紙幅の本尊の鑑定するように簡単ではないでしょう。

不鮮明な写真画像を一生懸命見比べても、あまり何もわからないと思います。 もともと贋作だったらある程度は本物に見えるようにしてあるはずです。 写真で見て一発でわかるような偽者はいくらなんでもつくらないでしょう。 だから偽物でも写真ではわからないと思います。

本人の筆だったとしたら、他の本尊に一部が似ていても不思議がないです。

過去にも何度か登場した、板本尊という考えがかなり後世まで存在しなかった、大石寺9世の日有師の時代に日蓮門下で初めて造られたという説ですが、

中山法華経寺の文献や身延山の文献に日興上人の身延山離山の直後(1300年を始めに)の身延山久遠寺の御影堂に板曼荼羅が安置されていたとか、さらに他にも少なくとも日興上人から大石寺5世日行師の時代の間には既に多にもいくつか色々な門流の寺院で板曼荼羅が造立されたいるようです。

身延山の件も、御影堂に安置されていたと記録されているようですが、それ以前にも日興上人が離山の際に持っていった板曼荼羅が存在したからその代わりに造立したと考えれば辻褄があわない事もないです。

それから個人に授与した曼荼羅は紙幅でも理解できますが、本堂の本尊くらい木像にしても不思議はないと思います。 日蓮聖人の遺文の観心本尊抄ではあきらかに曼荼羅本尊を仏像と呼んでいる記述があります。 私には本堂に残す本尊を掛け軸の本尊にするとは常識的に考えて考えにくいのです。

金箔などが高かったからと言う説を唱える人がいますが、金箔が必要だとは限りません。 化粧直しは後世に行われたかも知れません。 彫刻だってその日にすぐ行われたのかどうかはわかりません。 実際に大石寺歴代書写の板本尊では白木に筆で書写されて黒塗りも金箔も施されていない本尊も存在します。 その形態だったのを後世に化粧直ししたなら何も矛盾はないし、仮に黒塗り金箔でも不可能ではないと思います。

釈迦仏像を木造で造る人が信徒にいて、宗祖の滅後直後に立派な宗祖の御影を造立できたし板本尊も対して時間が経たない頃に複数の寺院で結局造立出来たのに、宗祖の入滅のほんの3年前に板を手に入れることが財政的に不可能だったから、本堂の本尊が木造がありえないと言う説に何の説得力があるかと言えばあまりないように思います。

何よりも、日有師よりも遥かに前に既に他門流でも板本尊が確認される時点で、それ以前の板曼荼羅偽作説の信憑性も失われます。

今回のパッチワーク説も写真は間違いなく戒壇本尊そのものでしょうが、批判している方が比較に使用した真筆本尊とされる本尊が贋作で問題があったりもしたようですので、あまり信憑性がなさそうに感じます。

また元創価学会での苦い体験がある方のようで、一生懸命日蓮正宗の教義を否定するきっかを探して過去に自分が信じていることを拭い去ろうと頑張っておられるようです。

一つだけ気になったのは同じ批判者の方のブログのコメントがどこかで引用されていて、リンクをみればなるほど本人がつぶやいているのですが、何故坊さんと同じくらいお経をあげているのに私はお金をもらえないのだろうという発言です。 どうもこれだけ人生の時間を費やしたのでから、私も一つ日蓮仏法で金儲けをしたいと言う風にも聞こえます。

質問した人からのコメント

2012/5/10 11:20:16

苦い経験も、金儲けもありません。回答は、誰かを選ばなくてはいけませんので、まさか自分の別IDを選べませんから。ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

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ich********さん

編集あり2012/5/1010:00:40

>このメモが日の目を見た頃は、誰も、考えてもみなかった日禅授与の本尊と、楠板戒壇本尊の酷似これを並べて比較できるのは、日蓮正宗、の中でも相当地位の高い僧侶しかできない、その地位にあった、前法主、阿部日顕猊下、というのは信用してよい、なにがなんでも、弘安二年、十月十二日でなければならない、教団にとっては大問題である、全否定は当然、ですが、これは否定すれば否定するほど本当に見えてくるものなのです。高僧であろう河辺師の楠板戒壇本尊にたいする、記録ミス、ありえないでしょう。企業の内部資料流失もそうですが、真実は流れでやすいもののようです。

また推測ですか?
御隠尊日顕上人猊下は当時は教学部長でいらっしゃいます。
御宗門の要職に就いていらっしゃったとはいえ、御戒壇様や日禅授与の御本尊を猊下の許可なく勝手に鑑定出来るお立場にはありません。
内情を知らない部外者が高僧であるから鑑定できるなどと妄想するのは勝手ですが、事実でないことを振り回すのは単なる中傷でしかありません。鑑定したと言うなら鑑定結果や鑑定機関は一体どこなのでしょうか?
あるなら提示して下さい。

あなたの回答を借りるなら、御戒壇様が出世の本懐であり弘安二年十月十二日であれば困るという他教団にとっては大問題であるから、推測で誹謗中傷しているにすぎないと言えるでしょう。
あなたの主張は学会からの引用であり、既に御宗門に悉く破折され尽くされている事です。
その証拠にあなたはこちらの反論に何一つ答えれていないでは無いですか?



> 日禅授与の酷似は既に知られているように(前法主・日顕師)戒壇の大御本尊の首題の「南無妙法蓮華経」と「花押」(「日蓮」の署名の上に書いてある一種のサイン)は、日禅授与の御本尊の首題と花押を模写したもので、その他の部分は、大石寺6世・日時上人や9世・日有上人の時代の筆跡になっており、その証拠に日禅授与の御本尊には、模写された時の痕跡が残っている。というのが発端となってる。信憑性がないといつつ、疑惑の元は日蓮正宗中興の祖とも言うべき改革派前法主だったようです。

これはどなたが言った事なのですか?
御隠尊日顕上人猊下が言われた事なのですか?
まさか河辺メモではないでしょうね??
河辺メモの内容については御隠尊日顕上人猊下は否定されておりますが?

「則ち主として創価学会の存在によって生じた日蓮正宗に対する種々の批判中の一環として、御本尊と血脈等に関する疑難悪口があることの内容について、ある時に慈篤房と客観的な話しをしたような記憶は存する。しかし学会で発表したあのメモのような諸件についての主張をしたことは断じてないのである。 」
(大白法 平成11年10月号)

また日禅授与の御本尊に模写した形跡などないとも言われていますが?

「勿論模写の形跡などは存在しない。したがって御戒壇様と日禅授与の御本尊とを類推すること自体が全くの誤りであり、この事をはっきり、述べておくものである」 (大白法 平成11年10月号)

学会側が河辺メモを悪用し誹謗してきたことを、当事者である御隠尊日顕上人猊下も河辺氏も否定されているのですよ。
メモと言うのは主語を省いてあるため、書いた本人しか解からない代物です。
それを他人がその真意を断定できることなどできないのは通常の認識から当然のことです。
しかしメモの内容を読めば当時正信会の僧侶が主張していた内容を書きとめたものであることも解ります。
あなたが学会と同じで坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの眼で見ているから、そのように邪推しているだけでしょう。
それを疑惑の元だといわれても、ただ単なる為にする言いがかりに過ぎません。



犀角独歩氏が写真解析の際、比較対象とした北山所蔵の「日禅授与の御本尊」ですが、立正安国会の御本尊集に掲載されていないのをご存知なのですか?
北山所蔵の通称「鉄砲曼荼羅」は掲載されているにもかかわらずです。
どういうことかというと、北山所蔵の「日禅授与の本尊」に疑いがあるという事です。
その疑いのある本尊と比較対象しても全く意味がありません。
ちなみに本物の「日禅授与の御本尊」は大石寺に厳護されています。

御戒壇様が御図顕されたのは弘安二年です。
日禅授与の御本尊は弘安三年です。
仮に主題が類似していたとしても、御戒壇様の主題を模写した可能性だってあります。
贋作であることは間違いありませんねとありますが、断定するには全く到りません。
今どき犀角独歩氏の説など日蓮宗でも誰も相手にしていませんよ。

日興跡条々事は、後に総本山第65世日淳上人が違う見解を御指南されています。
大石寺が写真版のみの公開なので、文献学上は偽書扱いと言う事であって、そちらの世界では真偽未決ということです。

興味があるなら片方の意見ばかりを盲目的に読むのではなく、
反対意見にも目を通すべきであり、双方比較相対した上の御自身で判断することを薦めておきます。

nekonandaさん

編集あり2012/5/1009:22:12

楠板彫刻戒壇大本尊、富士大石寺所蔵。
右現当二世の造立件の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白弘安二年10月十二日。>日蓮聖人在世中、板本尊造立は、これしかなく、そのために疑惑が持たている。
「願主弥四郎国重」と言う人物は実在の人物ではない「願主」を「弥四郎国重」とすると、この板本尊を造立したのは「弥四郎国重」の意志であると言うことになるのではあるまいか。「法華講衆」と言う講名であるが、これは日興の遺文と伝えられるものには確認できるものの、日蓮の遺文には確認できない。
これは明らかに富士門流の講中を意識したものであり、日蓮が書いた?ものではないだろう。



日禅授与の酷似

日禅授与の酷似は既に知られているように(前法主・日顕師)戒壇の大御本尊の首題の「南無妙法蓮華経」と「花押」(「日蓮」の署名の上に書いてある一種のサイン)は、日禅授与の御本尊の首題と花押を模写したもので、その他の部分は、大石寺6世・日時上人や9世・日有上人の時代の筆跡になっており、その証拠に日禅授与の御本尊には、模写された時の痕跡が残っている。というのが発端となってる。信憑性がないといつつ、疑惑の元は日蓮正宗中興の祖とも言うべき改革派前法主だったようです。

このメモが日の目を見た頃は、誰も、考えてもみなかった日禅授与の本尊と、楠板戒壇本尊の酷似これを並べて比較できるのは、日蓮正宗、の中でも相当地位の高い僧侶しかできない、その地位にあった、前法主、阿部日顕猊下、というのは信用してよい、なにがなんでも、弘安二年、十月十二日でなければならない、教団にとっては大問題である、全否定は当然、ですが、これは否定すれば否定するほど本当に見えてくるものなのです。高僧であろう河辺師の楠板戒壇本尊にたいする、記録ミス、ありえないでしょう。企業の内部資料流失もそうですが、真実は流れでやすいもののようです。

dux********さん

2012/5/613:11:42

歴史小説にあるようなあいまいな点から面白い論を推測するといった方針でしたら面白いと思いますが、それを根拠に間違いないと言い切るのは、問題あると思います。大体、、画像鑑別という点についていえば、出所不明の写真での鑑別なんて、鑑別材料にすること自体問題があると思います。つまり、あくまで歴史好きの素人が推測して楽しんでいるレベルであって、学術的には全く意味がありません。しかも、犀角独歩と言う方、ちゃんとした歴史学者(学術論文を作られているような方)ではなさそうですね。

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