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夕顔殺害は六条御息所の生霊で決定?

kon********さん

2012/5/1410:33:13

夕顔殺害は六条御息所の生霊で決定?

『源氏物語』に登場する夕顔は、なにがしの院で光源氏と関係をもった後、何者かに殺害されてしまった。

この殺害した犯人ですが、生霊による六条御息所が前提で物語りは書かれているのでしょうか?
そのような解説本がありました。
河原院の「もののけ説」は現在、有力ではないのでしょうか?

原文では「もののけ」としか書かれていませんが、
だとすると源の融の霊で男性?
しかし、光源氏の夢に現れたのは怪しい女?
やはり犯人は六条御息所の生霊?

それとも源氏の見た夢は、浮気に走った罪の意識による幻影?
そんな性格ではなさそうですが。

補足tremolo888さん書いているのは、武田宗俊氏の「紫上系」「玉鬘系」説ですよね。
『光る源氏の物語』(中公文庫)で以前読みましたよ。桐壺だけ順序が違うようですが。

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shu********さん

編集あり2012/5/1620:16:58

私は六条御息所の生霊が犯人だと思います。

tremolo888さんは葵からではなく、若紫から書き始められたと書いていますよね。
私は今大学で日本文学を少し勉強していますが、
教授から現在起筆は「若紫」とほぼ確定していると講義で教わりました。

質問者さんのおっしゃる武田宗俊氏の論文(「源氏物語の最初の形態」)も以前読みましたが、確かに納得できる説でした。
桐壷の部分はどうなんだろうと思いましたが・・・。

「若紫」以外にも「須磨・明石」起筆説などもあるようですが、こちらはあまり根拠がないように感じましたね。

失礼しました。

質問した人からのコメント

2012/5/20 20:56:35

武田宗俊氏の「紫上系」「玉鬘系」説をとるにしても、
紫式部が「夕顔」の段が前に来るように再校正したんですよね?
それとも後世の人が入れ替えたんですか?
いずれにしても「夕顔」では物の怪か六条御息所なのか、わざと曖昧にしたということですね。後でその答えが分かるように。
小説的にも、その方が綿密に構想されていると感じられます。

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mir********さん

2012/5/1413:51:27

源氏は六条御息所ではないと思っていますよ。
「夕顔」帖の中で源氏は夢に顕れた女が誰か分からないという態度を一貫して取っています。
「葵」帖で葵の上に取り憑いているのが六条御息所と察するのとは対照的です。

しかも夢の女は「私が日頃からご立派な方と思っている方を訪ねてくれず、こんな大したことのない女を可愛がっているとは、あまりにひどく恨めしい」と言っている。
普通はこの「ご立派な方」が=源氏らしいけど、源氏物語研究者でもある大塚ひかりさんは六条御息所を指すとしている。
夢の女は六条御息所に疚しい想いを抱く源氏に付け込んだ某の院のもののけとするのが正しいようです。

紫式部自身も「もののけは貴方の良心の呵責が見た幻影でしょ」みたいな歌を詠んでいる。
大塚ひかりさん説を採ると、夕顔の死因は実は腹上死の逆らしいです。

jk_********さん

編集あり2012/5/2020:51:23

私は1954年刊行の武田宗俊氏の「源氏物語の研究」(岩波書店)を否定するつもりは全くありません。
が、1954年の武田宗俊氏一人の学説で成り立つ説だとも思っていません。

武田宗俊氏に先立って、和辻哲郎氏、青柳秋生氏(源氏物語執筆の順序・国語と国文学・1939年8月号・9月号)の指摘があり、武田宗俊氏の「源氏物語の研究」を受けて、長谷川和子氏の「源氏物語の研究」(東宝書房刊・1957年)があり、更に、秋山虔氏が1950年に発表された「源氏物語」(「日本文学講座Ⅱ」河出書房刊)や「源氏物語」(1968年刊・岩波新書)、更には山中裕氏の国史学者としての補強や、近年の大野晋氏の国語学者としての研究の補強と、強い尽力が有った上で、ようやく成り立った説だと認識しています。

特に、「若菜」以降と、「宇治十帖」に関しては、その多くを大野晋氏による、国語学的な検証(形容動詞の検証や、センテンスの比較検証など)と、「紫式部日記」の構造の理解と「若菜」以降との詳細な読み合わせ、などに拠っている学説であると認識しています。
1922年の和辻哲郎氏の指摘(日本精神史研究・所収)、1939年の青柳(阿部)秋生氏の「源氏物語執筆の順序」、1954年の武田宗俊氏の「源氏物語の研究」から、大野晋氏がその学説をほぼ完成させた1984年頃に至るまで、約半世紀の歳月をかけ、多くの研究者の尽力によって、ようやく源氏物語を貫く学説と成り得たものであり、決してtremolo888さんが書かれているような、昭和20年代に一応の完成をみた学説などではありません。

>文学の研究活動は読者の役に立ってナンボですから、読者の役に立たない研究は価値がありません
>源氏物語の研究について言うなら、いまの学者はぜんぶダメです。
>源氏物語の研究者は全員クビにして研究室を取り潰して差し支えありません。

文学とは「役に立つ」ものなどではありません。

このような回答の場に、プライベートな事を持ち出すのは如何かと思いますが、武田宗俊教授は私の出身大学にいらっしゃった先生です。

また、武田宗俊教授の最も深い理解者であった、寺本直彦教授は、やはり私の母校である青山学院大学文学部日本文学科でずっと長い間源氏物語を教えていらっしゃった先生です。

その考えかたは、寺本 直彦教授の書かれた文章や論文などを読んでみても先生方にお聞きしても、決してtremolo888さんのような「いとも簡単に一刀両断」というようなものではありませんでした。これは、秋山虔教授や寺本直彦教授のゼミの学生だった先輩方が、一番よくわかっていることだろうと思います。
やはり、大学で大好きな事を何年か時間をかけて、一つ一つ努力して地道に学ばなければ、その学説の真意がどこにあるかは、なかなか理解できないことではないかと思います。

また、本当に宮中で武田宗俊教授の主張された執筆順に朗読されたのかどうかも断定できないと思います。
更級日記を読んでいても、到底、この作品が厳密に執筆順に読者に読まれていたとは思えません。
執筆順と、読者がその通りに物語を読んでいたかは、また別の検証が必要だろうと思います。

過去、源氏物語を巡る学説が変化してきたように、この先も新しい学説が出て変化し続けるでしょうし、そうあるべきだと思っています。そういう意味で、文学には、「絶対」という事も「正しい」と言う事も有り得ない、と思っており、その認識で作品を読むべきだと思っています。

当たり前ですが、文学作品を読んで考える時には、原文でなければ意味が無いと思います。
原文を何度も読み返すことで時間をかけて見えてくるものがあるのは、源氏物語だけでなく、どの作品でも同じだと思います。

現在の作品の形でしっかりとテキストを読み込む事と、作者の執筆順を考えながら二系列の物語を読んでみる事と、双方とも必要だと思っています。

唐突ですが、野面積み(のづらづみ)という石垣をご存知でしょうか?石の元々の形を損なわないで、上手く石垣として組み合わさるように、一つ一つ石を積み上げて作った石垣です。とてもかわいらしく、愛おしい石垣だと思います。
作品を深く深く丁寧に読み込んで理解し、その中から自分が何をつかみ取るか、作品と向かい合う時に一番大切なのはそのことだけだと思います。
武田教授の学説は、先人が積んだ石の上に、武田教授がその為に自ら積んだ、「一つの石」だと思います。
またその上にも下にも、石が組み合わさるように丁寧に石を積んできた研究者達がたくさんいます。
私は、学問や真実とは、そのようなものだと思っています。

回答 物語を通読して考えれば、私は六条御息所の生霊が夕顔を殺したのだと思いますが、
夕顔の巻だけを優れた短編として読む読者がいて、廃院の物の怪と、源氏の六条御息所への後ろめたさが二重に重なっている、という、やや曖昧な読みかたをしても、それはそれで充分良いと思います。

tre********さん

編集あり2012/5/1506:47:54

源氏物語でいちばん最初に「物の怪」が描かれたのは、第四帖『夕顔』ではなくて、第九帖『葵』です。

現在の源氏物語五十四帖の並び順でいうと、いちばん最初に「物の怪」が登場するのは第四帖『夕顔』であり、その次に「物の怪」が登場してくるのが第九帖『葵』となります。なので、現在の並び順で源氏物語五十四帖を読み進めると、当然のことながら、いちばん最初に「物の怪」が描かれたのは、第四帖『夕顔』であると受け止めることになってしまうのですが、実はそれは違うのです。

なぜならば、源氏物語五十四帖の執筆順序は、現在の五十四帖の並び順とは異なるからです。

源氏物語のオリジナルとしては、まず第五帖の若紫から書き始められ、紅葉賀・花宴・葵・賢木・花散里・須磨・明石・澪標・絵合・松風・薄雲・朝顔・少女・梅枝・藤裏葉という順序で書き進められて、ひとまず初期段階の源氏物語が完成しました。

その後から、桐壺・箒木・空蝉・夕顔・末摘花・蓬生・関屋の巻々や、玉鬘・初音・胡蝶・蛍・常夏・篝火・野分・行幸・藤袴・真木柱の巻々が、書き加えられました。

更に、若菜から夢浮橋までが書き続けられて、現在の源氏物語五十四帖になりました。

ということなので、源氏物語でいちばん最初に「物の怪」が描かれたのは、第四帖『夕顔』ではなくて、第九帖『葵』になるわけです。

第九帖『葵』では、物の怪の正体が六条御息所の生き霊であることを、強く印象付ける描き方をしています。なので、平安時代に源氏物語を読んでいた人々のあいだには、第四帖『夕顔』が書き加えらる以前から、『物の怪は六条御息所の生き霊である』という共通認識があったハズですよね。

そこに第四帖『夕顔』が書き加えられ、夕顔に「物の怪」が取り付き、あっという間に殺してしまう場面が描かれたのですから、当時の読者たちは、六条御息所の嫉妬心が生き霊となって、夕顔を殺したのだろうと受け止めたことでしょう。

今の時代においても、『六条御息所の嫉妬心が物の怪になって、夕顔を襲って殺したのだ』という予備知識をあらかじめ得てから、第四帖『夕顔』を読み始める人ばかりだと思います。

ですので、『物の怪は六条御息所の生き霊である』と受け止める以外に、事実上、読者に選択の余地はありません。『源の融の霊で男性、河原院のもののけ、浮気に走った罪の意識による幻影』というような受け止め方は、どれもこれも、後から分析して無理やりこじつけたもので、理屈が先走った不自然な読み方になるでしょう。


------------- 追加 -------------

いやいや、jk_ontheroad_1955さんこそ、源氏物語の執筆順序の研究成果を過小評価なさっているのではないでしょうか。

源氏物語の研究について言うなら、いまの学者はぜんぶダメです。

というのも、なにひとつ読者の役に立つことをしてないからです。文学の研究活動は読者の役に立ってナンボですから、読者の役に立たない研究は価値がありませんので、源氏物語の研究者は全員クビにして研究室を取り潰して差し支えありません。

一方、昭和20年代に展開された源氏物語の執筆順序の研究は、国文学には珍しいぐらいの合理的・実証的な態度が貫かれた立派なものでした。

鎌倉時代から現代までの源氏物語研究史を俯瞰してみても、群を抜いて優れている素晴らしい成果です。研究者によって若干の違いはありますが、大筋では、疑いを挟みこむ余地はほとんどないでしょう。

jk_ontheroad_1955さんのおっしゃる『多くの説の中の一つの仮説に過ぎません』というのは、とんでもないことで、キチンと論証されていることをシッカリ受け止めようとしない、学問的に不適切な態度に見えます。

もっとも、読者の立場から言えば、別段、読者が学者の説に従わねばならないような義務も義理もないわけですし、研究室やゼミがどうだろうが知ったこっちゃありません。ですが、源氏物語を読むときには、昭和20年代に展開された執筆順序の研究成果を取り込むことで、読めば読むほど源氏物語の中身がよく見えてくるし、理解の助けにもなり、とても良く役に立つのです。

ということで、国文学の研究というものは読者の役に立ってナンボですから、出来のよい研究成果は、大勢の人々に紹介してゆくのが吉でしょう。

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