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歴史ifです。 武田勝頼がもし、信玄の没後、3年間合戦を一切せずに国力の回復に...

nagano8543さん

2012/10/100:31:20

歴史ifです。

武田勝頼がもし、信玄の没後、3年間合戦を一切せずに国力の回復に務め、武藤喜兵衛(真田昌幸)を軍師にしていた場合。
未来は大きく変わりますよね。

長篠では、3年間合戦

を控えていたので、3万2000人くらい連れていけるでしょう。
鳶の巣砦の武田信実らに兵5000を分けて、長篠の合戦に突入。
最初、真田信綱、小幡憲重らの部隊の壊滅を目の当たりにして、真田昌幸らが織田の戦略は、武田軍の一つ一つの備えが攻めてきた所を狙い撃ちし、3万5000vs2000の戦いが行われていることに気づき、総攻めをした場合、互角にもっていけますよね?
武田勢2万3000人の総攻めですよ。頃は良しとみた勝頼が殿は馬場信春に任せ、退却します。

鳶の巣砦を攻めていた酒井忠次は兵5000で守っている武田勢に苦戦し、退却してきた武田勢本軍に挟みうちにされ酒井忠次は討死します。その勢いで長篠城に踊り込み、織田勢が来たら籠城します。

各地に敵を抱える信長は兵糧攻めできず、撤退します。

勝頼は帰国して、徳川領の高天神城、二俣城を攻略し、また合戦をやめ国力の回復に力を注ぎます。
御館の乱が発生したら、景虎に味方し、景勝を滅ぼして上杉、北条と同盟を結び(甲相越同盟)、一斉に織田と戦えば…

勝てるのではないでしょうか?

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kn3364さん

編集あり2012/10/321:49:11

信玄の上洛戦後、1年以内に反織田勢力は摂津の石山本願寺(後の大阪城)を除いて全滅します。
長島の殲滅戦では織田は8万からの軍勢を動員しています。

そもそも長篠の合戦が起きたのは、長篠城が武田方から離反し徳川家に付いてしまった為、これを誅伐するための出陣です。
武田対織田・徳川連合では、前線が徳川に寄り過ぎているため、3年間動かなければ織田・徳川の圧力に屈し、長篠城のような離反が相次いだでしょう。
また、離反が相次ぎ、これを放置すれば、武田家内の勝頼の立場が非常に危うくなります。

そして、武田も回復しますが、徳川もかなり回復してしまいます。
徳川の守りも強化されます。

それと長篠で織田が決戦に及んだのは、武田の消耗を確認したためです。
生きのいい武田軍に対して野戦は行わないでしょう。
基本、拠点防衛+武田軍撤退後の失地回復による持久戦・消耗戦になります。
織田家との間に決定的な国力差がある限り、織田は持久戦に持ち込みます、武田相手の決戦はリスクが大きいので避けるでしょう。
最終的には、織田と事を構え続けるかぎり、いつかの時点で長篠の戦のような状況が再現されます。

それと、本能寺の変は武田が滅びた為に発生したようなものです。
武田が健在なうちは、まず起こりません。


その前提なら、真田昌幸に3千程度の兵を付けて、二俣城に常駐させ天竜川東岸を南下侵攻させ、掛川城、高天神城の分断を行わせるとともに、長篠城、及び三河・東美濃の戦線を縮小、補給線の負担軽減をはかる方が良いかな。
これで、最小限の負担で前線を維持しつつ徳川に圧力をかけれるかな。
たdし、国力の格差はいかんともしがたいので武田の生き残りのためには和平工作が必要でしょう。
織田は和平には応じないので、戦線を有利に維持し、徳川を窓口として和平交渉を行い、最終的に徳川を仲介して織田家との和平に持ち込むべきでしょう。

武力による織田家討伐は当時の武田では無理でしょう。
武力で織田家に勝つには、最低でも北条家の全面協力が必要ですが、この時点で北条が武田に協力するのも、織田と事を構えるのもメリットが無く、むしろ逆の立場を取った方が北条には利がある為、北条の全面協力を得るのはほぼ不可能でしょう。
織田と事を構えつつ北条を攻略して国力を増強するというのも、この時点では不可能でしょう。
上杉家との同盟は、意味が無いとまでは言いませんが、連合軍を形成しての合同侵攻は補給線の問題、上杉家の防衛上の問題から現実的ではなく、武田・上杉が双方の方面から侵攻することになりますが、状況的には同盟していてもしていなくても変わりません。
織田家はどちらにも防衛兵力を置いており、防衛に徹するなら大規模な援軍は必要としません。
ようは、方面軍を籠城させるということです。
なので、戦局的にはさして効果が無いでしょう。

ということで、国力・戦力を消耗しないうちに徳川を介しての和平工作が堅実的な方策でしょう。
仮に、決戦を行って勝っても、信長の首でも取れない限りは状況はさして好転しません。
決戦に勝てても、状況悪化を1~2年先延ばしにできる程度です。
実際、勝頼は局地戦ですが、長篠までは一応勝ち続けていました。

質問した人からのコメント

2012/10/3 23:13:57

降参 とてもこまか所までご説明いただきありがとうございました。
やはり難しいですね…織田の国力は強大すぎる。
徳川を仲立ちとは素晴らしいです。

武田と大東亜戦争時の日本が少し似ています。強大すぎる敵がいたこと。

回答してくださった方々、ありがとうございましたm(_ _)m
また機会があったらよろしくお願いします。

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pokewikiさん

2012/10/220:04:57

武田信玄が死亡した後、徳川家康が負けた分の領地を取り戻す為に行動しています。
それを阻止する為にも勝頼は軍を東海地方に動かす必要性があったからです。
野放しにすれば徳川に取られるだけでなく国内からも勝頼を見限る武将が現れて
国力の回復が出来るかどうかも怪しい情勢です。

武田信玄が死んだことによって、東の圧力が薄くなった織田信長は
浅井・朝倉を打ち滅ぼし、支配権を拡大します。
すでにこの時点で武田と織田の国力差に開きがあり
年代が経てば経つほど局地的な勝利を収めても力関係を覆す事ができません。
東海地方で勢力を伸ばしても徳川はともかく織田の国力が直接削れる訳ではありません。
それでも東側でなにかしら行動しないと織田側が他の地域を取り込むのが早くなります。
そうすれば国力差がさらに広がります。

国力を無事に温存する事ができた上の出兵をしたとして
徳川家は倒すことは出来るかもしれません。
そしてその後、織田軍と決戦という形になったとして
より大規模な兵力を動員している相手に対して・・・勝てますかね?

2012/10/107:06:30

少なくとも本能寺の変まで武田家は滅びないでしょうね。信長も軽々には動きませんから長篠の合戦も起こらないでしょう。
武田もこういう状況ならおそらく上杉にも北条にも手は出さないでしょうから、武田は秀吉との相性次第で残ったかもしれません。

yaikomaeさん

2012/10/103:28:47

「駿河、遠江」の「港」を手に入れていましたので「貿易」も可能です。

また「戦」といっても対外ではなく「内の敵」と言える「親族衆」を討伐すれば
「勝頼」自身の領地が増え、またそれにより権力も増加します。

父「信玄」は父親追放、妹婿襲撃、長男幽閉などなど親族を狙い
自身の「領地」と「権力」を増大させています。


こういった施策の上で「織田、徳川」を攻めることが
「武田勝頼」には必要であったっと思われます。

zgf8000さん

編集あり2012/10/101:32:49

確かに真田が軍師に入れば強いのかもしれませんが、武田軍は既に通用しないところまで追い込まれていたのです。

武田軍というのはスピード攻撃のスペシャリストで、築城などはあまり上手くないので守備が下手なイメージです。守備的な戦い方を嫌い、攻撃的な戦術を好むのが武田軍です。(サッカーみたいなイメージ)

武田軍は平地戦に滅法強く、騎馬軍団を活かして、騎馬鉄砲隊を使い、相手本陣と別部分を急襲する事で多大な戦果を上げてきたわけですが、小田・松平連合軍は、鉄砲+守備を使う事で武田軍のスピードを完全に殺してしまったわけです。

それで・・・・スピード(馬)を殺された武田軍は退却するしかないのですが、その退却先で籠城して戦う戦法は武田の苦手とする戦法で兵糧など物資に乏しい土地柄、兵糧を抑えられたら特攻をかけるしか方法が無いのです。そして武田信玄の城に石垣が無かったように石垣を使う堅牢な城を築く事もできないわけです。逆に後北条や、真田などというのは籠城戦に強く、守備型の戦法を得意とします。従い、平地戦では楠正成になってしまうのがオチで、山岳戦や断崖戦(忍者部隊)を得意とするわけですね。

つまり極論で・・・・鉄砲戦術+受け身守備を使われて、平地戦で負けたら武田軍は負けなのです。

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